日本の歴史をみてくると
- 中国の影響をどのようにとらえ、日本に何を取り入れ/何を取り入れなかったか
- 欧米の影響をどのようにとらえ、日本に何を取り入れ/何を取り入れなかったか
が気になります。これが「言論の自由」にどう関係していたのでしょうか。
影響や相互影響は、どこにでもあるもので、避けられませんが、「すべてをそっくりそのまま受け入れる」か、それとも「これはまずいと思うところを避けて受け入れられるかどうか」、が簡単なようで、なかなか困難な問題でした。
この前提として「言論の自由」があるのでした。日本はこの点で、独特の判断を下してきたことがわかります。
わかりやすく言えば
- 中国の儒教を、そのまま取り入れるのではなく、日本風に味付けをして取り入れました。儒教の「現状維持を大切にし、改善を認めない」という思考を否定できたため、明治以後の変革をなしえたのでしょう。明治初期の頃に生きた江戸末期の人のセリフ「最近の若い者の考えはさっぱりわからん」が聞こえてきそうです(笑)。
- 仏教でさえ伝来したあと、日本風の仏教(禅宗など)へ変身し、やがて室町時代以降には、そこから今にも伝わる日本風のしきたりをたくさん生み出しました。
- 日本へ仏教を伝えた人への批判ではありませんが、インドから伝わった仏教が「母国中国で普及するはずがない」と覚った中国人僧侶が日本へ伝える宿命を感じた、とも考えられます。
- キリスト教でさえ、あれほどキリシタン禁制で弾圧されたにもかかわらず、日本人がその侵略的手法を見抜いたのか、一定以上の普及には至らなかったのをみると、多くの場合「そのまま」では普及しないことがわかります。民族性の違いでしょうが、韓国で普及した「韓国風のキリスト教」をみれば、よく理解できますね。原形をとどめようとするキリスト教やイスラム教は、日本で広くは普及しなかったのです。
言論の自由とは、このようにして
取り入れたそのままではなく、独自の主張を加味して発展させる原動力になっている
と思うのです。
この意味で日本には、制限はあったとしても、かなり昔から一定の範囲での「言論の自由」があったと思われます。
- 日本で、北朝鮮のマスゲームのような「一糸乱れぬ美」以外を排除したとは思われません。
- 「古典を重視しながらもそれを克服しようとする文学的な意図」もあり、絵画の世界でもそれが見られました。
- 「わざと調和を乱したところに美を見出そう」とする感覚(陶磁器・各種の作法)さえ発達しましたが、これはヨーロッパや中国・朝鮮半島では極めて珍しいことだったようです。
こんなことから、「日本に言論の自由が芽生え始めていた」くらいなら言えそうです。
ひるがえって俯瞰(ふかん)しますと
- 中国ではいまだに、中国共産党〔1921年結党〕が中華人民共和国を建国〔1949年〕しただけでなく、国家が考える「善」を国民に強要するという段階を徘徊していて、どこにも言論の自由がありません。
- 朝鮮半島では、中国の影響が強すぎたと言うべきか、暴力的な威嚇に屈したまま1000年以上が経過したためか、いまだに中国そっくりの社会構造から脱しきれません。近年、決して良好な関係とは言えない中国・韓国の両国が一致協力して「反日」を演じていることなど、誰でも知っていますね。
言論の自由とは
- 自分の考えを、堂々と主張できる勇気がある
- そのような、多様性を認めあえる社会である
かどうか、ということですね。この2つのどちらを欠くことも、できません。
ヴォルテール先生は言った。「私はあなたの主張には反対だが、あなたの言論の自由は、命をかけても守る」と言った。:P.132 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良沢・宗像隆幸 共訳 光文社
自分の主張をもつことは大切ですが、「死守」してはいけないことも述べています。
「自分が最も大切だと思っている」ことと反対のことを「相手が最も大切だと思っている」かも知れないからです。
しかし、こういう思考に
至らない人たちが世の中にいることは確かです。自分の考えが一番優れていて、これに反対することなど、決して許さないと、ヒステリックに反発する人たちのことです。日本の周辺を見渡せば、そんな「愚か」な人たちが存在しますね。
一般的な「言論の自由」ではなく、もっと身近な「言論の自由」について述べて参りました。
さてさて、皆様はどう思われますか。