カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

韓国人の残虐さ

2014年07月30日 11時36分55秒 | アジア

韓国人の残虐さ、については、特別に言うべきことではない、そのはずでした。

どの国にも負の一面はあるもので、特別なことがない限り、そんなことに触れるものではありません。

しかし韓国マスメディアおよび韓国人の多くが、長年にわたり繰り返し国是のように一致団結して、めちゃくちゃな反日言動を繰り返して悦に入っているのを見て、やむを得ず私も少しは対抗してみようかな、と考えました。

韓国人よ、あんたたちにはそれを言う資格がない

という動機からですが、さてこの意味が伝わるかどうか。

分るくらいなら、そんなレベルのことを言わないはずですから、やっぱり言っても分らないのでしょうか。

ならば言う意味がないか(大笑)。

韓国での初等教育は、あまりにも、歪み(ゆがみ)過ぎているようで

自己優越史観に満ちているためか、自分自身をまるで品格ある君子のようにとらえ、1000年以上も中国の属国であった負の一面については、韓国は中国と大人の対応をしてきた独立国だ、として事実には決して触れないようです。 


その後、元朝は、14世紀なかばに内部分裂し、混乱した。そして1368年に、漢民族による明朝が元朝を倒して、中国を統一することに成功した。高麗は明が混乱すると、かつて新羅の裏切りによって失った満州から沿海州にかけての旧高句麗領の回復を企てた。 

そのようななかで、韓族にとって二度目の歴史的痛恨事がもたらされた。 

1388年に高麗の右軍の司令官であった李成桂(イソンゲ)は、明から遼東半島を回復するために、3万8000人(10万人説も)の軍勢を率いて進軍中に、こともあろうに敵である明と戦うことなく、鴨緑(ヤールー)江河口の威化島(イファト)から回軍して平壌に引き返し、クーデターを行なったのである。高麗は、外敵と通じた裏切り者によって滅びることになった。 

李成桂は、1392年に李朝を創設するとともに、明に臣下の礼をとり、韓国は再び中国の属国になり下がってしまった。これは民族に対する悪辣(あくらつ)きわまる反逆行為だった。李朝は明を天子の国と仰いで、中国文化を直輸入した。「朝鮮」という国名も、明に選んでもらったものだった。そこまでして李成桂は、クーデターによって成立したばかりの不安定な政権のバックボーンになってもらうよう、明に諂(へつら)ったのである。 

その結果、中国社会の悪いところが、すべて移入された。李氏朝鮮はその後、500年にわたって党派争いに明け暮れ、骨肉の争いや中傷誹謗や、不正腐敗がはびこることとなった。 : 崔基鎬(チェ・キルソン)「韓国堕落の2000年史」祥伝社黄金文庫   


残念ながら

こういった歴史を韓国では教えていないようです。あくまでも韓国が中心の歴史観であり、韓国が世界の中心であったという歴史観を貫き、国民を洗脳しています。その証拠として、日本でも間違いなく洗脳があるはずだ、なぜならば自分の「正しい」歴史観と大きく異なっているから。この原因は日本政府が洗脳していることによる・・・・と、信じられないほど恐ろしい勘違いをしています。

これに拍車をかけるのが韓国のマスメディアで、普段はもうケンカ調子のバラバラ記事ですが、反日になると妙に一致団結します(笑)。

韓国では「親日」は軽蔑の言葉に近く

少しでも日本に同調すれば、もう国賊扱いらしい。まぁ、そんな人ばかりではないと信じたいところですが、社会の風潮がそうだから、特別に反日でなかった人でも、自然に反日へ向います。

子供は大人の姿を見て育ちます。親日家だと決めつけられて袋だたきにあっている「みじめな」大人たちを見て育ち、自分は絶対に親日とは言われないようにしたい、そう決意を新たにして成長するのでした。そういう子供たちが大人になったときどんな人間になっているかは、後述のタクシー運転手の例をみるまでもなく、もう火を見るよりも明らかです。

「日本人でなくてよかった」と誰かが言ったとされ、この真偽のほどは分りませんが、どこの国民も、自国民として生まれてきてよかった、敵対する相手の国に生まれなくてよかった、と思うもの。国家の援助を受けた有名人ならば、その援助の引き替えとして、これを代弁する役割が義務づけられているのです。そう思えば、可愛そうな運命ですね(笑)。  

しかし、こうした反日の狂喜の中で過ごした韓国人が、何らかの理由で、おそるおそる日本へ来てみると

韓国内での「日本人みな邪悪な犬のようなものなので注意しろ」というのがうそのような光景に驚き、どこへ行っても親切にされた、というのです。中には自国社会の偽りさえ感じる人もいることでしょう。

ここが大切なところですが、たとえ真理がわかったとしても、自国韓国へ帰ったときに「日本人は親切だった」と率直に話してはいけません。そんなことをすると、あれほど恐れていた「親日」のレッテルが自分に貼られてしまうのです。

「真理は、言ってはならない」のです。

太陽が地球のまわりを公転しているのです。世界の中心は韓国なのです。地球が太陽のまわりを公転しているという真理を公言しては、教会から処罰されます。韓国も地球の上の一つの国に過ぎない、そう思ってはならないのです。

韓国社会は、社会全体が、中世のヨーロッパの腐敗した教会のようなものですから、韓国のちゃんとした人たちは、ガリレオやニュートンのように受難を甘受しなければなりません。

それは必ず400年後には、間違いなく理解される運命ですから(笑)。

うぬぼれた初等教育のゆく末は、このような惨めなものだったのですね。  


古代遺跡を求めて対馬に行ったとき、元寇の伝承とそのすさまじさに驚いた。一村皆殺し、掌に穴をあけて縄で貫き、海岸を引かれてゆく夫や父親の姿を、山の岩影から妻や娘が見つめていた。その残虐の伝承が、今も生き生きと語り継がれていたのである。「朝鮮人に一村皆殺しにされた」そういう悲劇の伝承を記録していたところもあった。・・・・

中国や韓国などに対する「侵略」が、文字通り侵略であること、わたしには何の疑いもない。教科書に特筆大書してもいい。むしろ、すべきであろう。けれども、ではなぜ、中国や韓国の教科書には、「元寇の虐殺」や「随の煬帝(ようだい)の琉球侵略」の記事がないのか。:P.38古田武彦 古田武彦ほか共著新・古代学第1集新泉社1995.11.18  


自国優越感に基づく歴史教育をしていると、このような弊害があるという見本でした。絶対に自国の汚点を後世へ語り継がない・・・・

しばしば見られる光景ですが、小学校時代に、いじめられた、と述懐する人がいます。しかしこの人が「ひょっとしたら自分がいじめの加害者だったことはなかったか」と反省することは、まずあり得ません。

それが普通だとおもいますが、特にひどいのが韓国人。

被害者意識を根拠に相手を攻撃するだけで、自分自身の加害者意識が欠如していることに気づかないのでは、成熟したまともな大人とは言えません。  


中国国内で膨張する嫌韓感情に対処するために、李明博大統領が辛正承在中韓国大使に指示して、一部誤報が含まれた韓国起源説に対する釈明を中国メディア上で大使にさせるほどの影響力を持つようになっている。:Wikipedia 2014年04月27日  


韓国としては、唯一たよりとしていた中国で、これほど嫌韓の風潮が高まるとは思っていなかったようです。韓国としては、中国に見放されたら、もうどこにも頼るところがなくなります。それを巧みに利用しようと狙っているのが中国。

しょせん中国と韓国には「弾圧を喜んで受け入れる国民性」という共通点があるのでしょうか。

まぁ無難なところ朝鮮半島では、無事に南北統一され、南北ともに中国の属国と化すしかありません。そうなると朝鮮半島では、当然ですが嫌中など絶対に表明できません。

その場合、好き勝手に意見を表明する韓国のマスメディアは直ちに閉鎖され、関係者は全員失職し、韓国の民主化は永遠の未来へ遠ざかるでしょう。

中国の植民地と化した朝鮮半島では、ただ反米反日、嫌米侮日のみが、宗主国中国によって許されます。この地獄を、いま夢見ているのが朴槿恵(パク・クネ)を代表とする韓国なのでした(笑)。

そうなってから「まだ日帝支配時代のほうが、ましだった」と叫んでも、もう手遅れですよ~(大笑)。

少し長くなりますが、ベトナム戦争時の韓国軍兵士による残虐性を取り上げましょう。   


ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。 

最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社[13]が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は1999年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。 

例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用する。 

大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
女性を強姦してから殺害。強姦しながら拷問。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。 

日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍が虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。 

続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。 

これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。 

同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。

 ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。 

― 佐藤和、「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」 『SAPIO』 2001年9月26日号  


アメリカ兵士による

ベトナムでの残虐行動が話題になりましたが、当時、見て見ぬふりをしていたのが韓国人。

そして勇気あるハンギョレ新聞が「韓国人兵士による残虐性」を報道したとき、韓国退役軍人らがそれを報じたハンギョレ新聞社に乱入し破壊活動をしたというのです。

国のために闘った戦友を冒涜した、という理由からですが、国のために闘った戦友の残虐性を伝えるとは何事か、という屈折したうぬぼれが韓国の未熟さを典型的に表わしています。

そして皮肉なことに

事実を報じた新聞社へ乱入して破壊した韓国退役軍人の暴力性が、ベトナムでの韓国軍人の暴力性を二重に証明した

と世界中を納得させます。

戦争だから何をしてもいいという言いぶんは、責任回避以外の何ものでもありません。

こんな程度の国民が、古い慰安婦問題を蒸し返して日本に賠償請求をしようとしているのであり、もうあいた口がふさがらないとはこのこと。

ばれなければ偉そうに振る舞えるというのが、なんともみすぼらしい。 

自分の汚点を相手に投影して、相手を口汚くののしるのが韓国人の特徴で、自らを顧みる習慣がないため、自分の汚点を見ようとはせず、いかがわしいことこの上ない体質ですね。

私は、普段は一方的すぎて信頼していなかったハンギョレ新聞に、韓国社会を怒らせてまで事実を伝えようとする報道姿勢をみて、韓国にもまともな報道マスメディアがあるものだ、となぜかほっとする次第です。  


ここまで話したとき、彼はわたしの言葉を遮って大声で反論した。・・・・ 

わたしはこう答えた。「少なくともおじさんが言うほどには、日本人は悪くないよ。韓国は日本人から見習うべきことだっていっぱいあるのに」 

わたしの言葉が終わらないうちに彼はタクシーを急停車させた。そしてカンカンになって怒り狂い、わたしに罵声をあびせるのであった。 

「聞いていると貴様はきっと親日派だな。日本がそんなにいいなら韓国にわざわざ何をしにきやがった! 俺様の車は親日派を乗せるような車じゃねェ。ととと降りやがれ!」 

まるで猛り狂うライオンのように、すぐいまにも噛み殺さんばかりに吼えるタクシーの運転手の、いびつに歪んだ醜悪きわまりない顔がいまも目に浮かぶ。わたしは首を振ると自然と笑いがこみ上げてきた。タクシーを降りてから他のタクシーを捕まえ、もう日本から来たなどと言わないことを決心した。・・・・ 

自分の個人的な意見や異質な言葉・表現の自由が許されない韓国社会の真実を実感した一日であった。実際に資本主義、民主主義社会を志向して声高に標榜している韓国が、たかだかこれほどまでに低いレベルだったのかと、海外で暮らす同胞としてわたしははなはだショックであった。 :P.148-151  金文学/金明学「韓国民に告ぐ!」祥伝社文庫   


著者が韓国へ行ってタクシーに乗った時の話で、運転手から「在日同胞ですか?」と尋ねられて「いや中国の同胞三世で日本に留学中」と答えたら、運転手が日本の悪口を言い始めたらしい。

このタクシーの運転手は、いや他の運転手も同じであろうと想像できますが、自分の考えと異なる意見を許さないらしい。

当然のことですが、「自分がそのように洗脳されているのではないか」などと考えることはこの程度の運転手には高度すぎ、みんなが言っていることを同じようにしゃべりまくるだけであり、

自分の若い頃に、世間が世間と異なる意見を許さなかった恨みを記憶していたのでしょう、長じてからは自分の意見に反する意見を許さない人間になった

それだけのことです。

言論の自由がないと、このような歪んだ(ゆがんだ)人間を育ててしまうのです。「言論の自由」と簡単に言いますが、こういう例を挙げるとわかりやすいですね。

民主主義社会とはほど遠い韓国社会の一面をあらわしていて、あまりにもひどいと思います。国家による洗脳とは、これほど恐ろしいものかと驚きます。

以上、4つの例で、韓国人の残虐性を示しました。決して韓国人をおとしめる目的をもっているわけではありませんが、

  • 自らの汚点を知らないまま
  • あるいは自らの汚点に目をそむけながら
  • あるいは自らの汚点を決して報道させない社会システムをつくりながら

日本の過去を蒸し返して攻撃し、日本の影響力を低下させて狂喜乱舞する韓国人たちのおぞましさを、これ以上見過ごせないと思って、引用しました。

韓国人たちが、自らの歴史を直視する訓練を経てから、外国である日本に向って「歴史を直視せよ」と言うよう、心から願っております。これには400年ほど必要かも知れませんね(大笑)。


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