一生懸命に何かを言っていますが、どうもおかしいと思うことがあります。「異論を絶対に認めない、自分の考えを死守する」、そういった人たちをどう扱うかでしょうか。
相手が、自分の意見を押しつけるのではなく異なった見方があると主張しているのに、異論が存在することさえ認めないというのは
- 韓族が使っている言語に、致命的な欠陥があるのか
- 「うぬぼれ」過ぎるためか
どちらなんでしょうね。それ以外ですか(笑)。
韓国の、ある議員は
- 国交のない北朝鮮に対し「金正恩国防委員会第一委員長」と呼び
- 国交のある日本に対し 「安倍」と呼んでいました
特殊な意見かも知れませんが、普通は逆ですね。
似たようなことですが・・・・・・前大統領朴槿恵が
- 国交のない北朝鮮と「無条件で会う用意」
- 国交のある日本とは「条件付きで会う用意」韓国の主張に賛同すれば
としてバカにされましたが
これを思い出した人もいることでしょうね。狭い韓国だけにしか通用しない意見でしたが、しょせんそんな程度の大統領であり、その大統領を文在寅が上回ったのかどうか・・・・・・
こういったところに
「自分たちの意志ではなく、外部の意志によって」祖国が分断させられたという判断がにじみ出ているように感じました。
今でもなおかつ、北朝鮮や中国やロシアなどの攻撃性に対する反撃を封印して、アメリカや日本を目の敵にする姿勢が正当化されるのは、そのせいでしょうか。また日韓の対立を望んでいたかつてのアメリカの姿勢が、それに拍車をかけていたようです。
主な原因は
「自分たちに責任はなかったのかどうか」
と自らの歴史を見つめ直す姿勢がないところにあります。
そもそも「歴史」は時の権力者が恣意的に利用するもの、という中国の影響をもろに受けた朝鮮半島らしいところでしょうか。
韓族の場合
責任はいつも「自分以外にある」とします。
責任が「自分」にあるとは言いません。
そんなことを言えば、自らの弱さを吐露したことにほかならないと信じ、張り子の虎でもいいから「強がらねばならない」韓族としては、「あくまでも他者が悪い」としなければならないのです。
決して「弱さをみせてはいけない」のでした。
その「自分」の定義がしばしば変わることも問題です。
- ある時「自分」は朝鮮半島の南側にある韓国だけであり
- ある時「自分」はそれに中国共産党を加えたものだったり
- 今では「自分」は、中国を除外し、韓族(北朝鮮を含めた韓国)になっているようです。
このようにして「自分」の定義を豹変させるところが、いかにも韓族らしいと言えます。
これも「資格のないことを平気で言う」例と言えましょう。
この人(肩書き問題を起こした人のこと)の中では
北朝鮮によるあくどい軍事的ちょっかいや暴言などは、どうでもよく、北朝鮮の言動がすべて正しいので、それに韓国が反発するのは間違っており、あくまでも日本やアメリカが敵なんでしょう。
一言でいえば
いかにして民主化を達成するかではなく、同一民族が統一国家になること、しか視野にないのでしょうね。
私が言っているそのような疑問を指摘すると「南北和解ムードに水をさすのか」「国賊・売国奴だ」と異論を排除するのでしょう。これが正調韓国節です(笑)。
そういった形式だけを重要視しているので
韓国が、対立ばかりの大混乱・無秩序な無法国家となっていることの証明になってしまいました。いわば「かわいそうな韓族」ですが、これも日常のありのままの姿の延長ですから、他者が何も言えず、自業自得と言えます。
姿勢の問題ですが
韓族の典型として「自らの立場を明確にせず相手の出方によって姿勢を決める」とすることは、場合によって必要なんでしょうが、自らの立場が明確でないことから相手に誤ったメッセージを送る恐れがあり、それが言外の通信手段であることを期待しているようですが、致命的な欠陥になる恐れがあります。
なお当ブログでは、特に必要がない限り、
すべて肩書きをつけないで呼び捨て
にしております。肩書きはしばしば変わるからですね(笑)。
文在寅大統領は演説で、「過去の歴史が韓日関係の未来志向的な発展の足を引っ張るのは望ましくない」としつつ、北朝鮮への対応などについて「北東アジアの平和と繁栄のために一緒に協力する関係に発展しなければならない」と述べた。:diamond 2017/8/18
これが韓国の
と言われるもので、みなほとんど同じ意味です。
地政学的な条件から見て、はたしてそれが韓国の幸せにつながるのかどうか、疑問に感じます。
韓国のとるべき道筋を3う挙げました。
- ロシアや中国などを刺戟しない最近の生きかた(瀬戸際外交)。
- 朝鮮半島が中国の属国となる伝統的な方法。朝鮮半島が中国の1省として生き延びる手法で、すでにその気配が十二分に見られます。
- どこからの影響も最小限にして、独自の外交を展開する方法。
文在寅は日本に
「勇気ある姿勢」を要求するのですが、実は「勇気ある姿勢」は韓国にもっとも必要な姿勢だったのです。
あくまでも韓族に都合のいい姿勢が「勇気ある姿勢」であることに注目したいものです。
これは、自分に一番欠けていることが相手の欠点だと信じる韓族特有の手法で、都合が悪くなると「日本が孤立している」と言わざるを得ないことが証拠として挙げられます。自らを鏡で見る習慣がない韓族らしさでしょうか。
朝鮮半島では儒教によって「改善が禁じられている」ためか
自分たちに「勇気」がなく現状維持を欲しますが、その不満を「勇気ある姿勢」を日本に求めることで払拭しようとしています。
そんなことを言っている限り、「韓国は底辺をさまよい歩き続ける」ことになるでしょう。
言う資格がないことを平気で言えるのが、韓国の強みであると同時に、致命的な弱みなのかも知れません。
さてさて、皆様はどう思われますか。