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国民の命を守るのは国ではありません 同じ国民の命で守るのです

2022年09月22日 | 世間一般

日本の総理大臣は良く

国家の目的は国民の生命財産を守る事

これを良く口にすますよね。

まぁ多分国民の皆さんもそれを素直に受け止めてるんでしょうね

特に異論は耳にした事はありませんし

実際に国家はそのために存在するのだろうと思います。

ですから

間違ってはいませんが

どうも私はこの言葉を耳にする度に違和感を覚えます

この国民の生命財産を守ると言う国家の目的

ではどうやって実行するのかと言うと

一口で言えば逆に

国民の生命財産を犠牲にして守るのです。

つまり

国民の生命財産を守る

なんて綺麗ごとを言っても

実際には

守られる財産と

奪い取る財産があり

守られる命と奪われる命があるのです。

何で私がそんな感情を持ってるか?

理由は私が沖縄戦の激戦地で生まれ育ったからです。

沖縄戦の体験者は良く

日本軍が住民を守ると思ってたら

実際には軍の為に住民の犠牲を強いた

そんな話をしていました。

家族で壕に隠れてたら

日本軍がやってきて追い出され

結局爆弾に当たって死んだ

私の叔父もそうやって犠牲になった一人です。

ですから

私は

この国民の生命財産を守る

って言葉が素直に受け入れられないのです。

以前尖閣の事で

威勢の良い話ばかりしてた人がいましたので

我慢できずに一言発した事があります。

尖閣を体を張って守ってるのは海上保安庁の若い人たちですから

ご自分のお孫さん達も海上保安庁に入れたらどうですか?

って

そうすると黙ってしまいましたね。

まぁこれが

国民の命を守る

と言う言葉に秘められた大きな矛盾です。

矛盾はありますが

しかし誰かがそうしなければ国は守れませんからね

ですから

日本の総理大臣は軽々しくこの言葉を発しますが

実際には大変重いパラドックスがそこにあるのです。

今ウクライナではまさに戦争が起こってる訳ですが

市民の間では

ギルティーシンドロームで悩む

そんな人たちが増えてるそうです。

つまり

命を賭けて国を守ってる最前線の兵士たち

これに対して

安全な場所で普通に生活してる自分が罪悪感に襲われる訳です。

この話

よく日本の特攻隊の生き残りの人たちが口にしてましたよね。

自分は生き残って

死んだ仲間に申し訳ない

国を守るために失う命があって

では生き残った人たちは幸せか?

って言うと

それはそれで罪悪感を抱えて生きる

だから日本でも

その罪悪感を少しでも和らげるために

靖国神社に兵士を祀ったりするのです。

ですから

本当に国民の生命財産を守る

って事であれば

戦争は極力避ける

これが為政者の第一の目標

是非そうであって欲しいですが

さて

どうなんでしょうね?

また軍備で国民の生命財産を守る

みたいな空気が蔓延してきましたね。

まぁ私には止めようもありませんが

改めて思いますよね

地政学的に見ると

国と言うのは主観的で

身勝手

だって

身勝手同士が仲良く出来る訳ありませんよね。

だから

いつまで経っても

地球上から戦争は無くならないのです。

まぁしかし

国に限らず

人間の作る集団は全て利己的ですからね

その典型的なのが会社です

お互い競合して

生き残り合戦をしてる訳です。

この宿命を背負ってる以上は

仕事で心休まる

なんてあまり期待できませんよね

しかし仕事をしなけれは生きて行けない

人間は本当に過酷な運命を背負わされた物です。

ただ

この過酷さも

会社によって大きな差がありますからね

拡大志向が強ければ

どうしても社員に負担が重くのしかかる

そんな風になります。

アメリカロシア中国の覇権争いと同じです。

私は社員に犠牲を強いる強い心はありませんから

今の規模が理想的な形です

有難い物です。

コメント
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