都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ベルト・モリゾ展」 損保ジャパン東郷青児美術館
損保ジャパン東郷青児美術館(新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン本社ビル42階)
「 - 美しき女性印象派画家 - ベルト・モリゾ展」
9/15-11/25
油彩から版画まで揃う(全70点)国内初のモリゾ回顧展です。率直に申し上げると彼女の絵に惹かれる部分は少ないのですが、それでも何点かの作品には印象深いものを感じました。独特な白の色遣いに、包み込まれるような光を感じる画家です。
画題を問わず、ともかくも娘、ジュリーへの愛情がたっぷりと注がれているような作品が目立ちますが、まず挙げるべきはちらし表紙も飾る「コテージの室内」(1886)でしょう。燦々と降り注ぐ光がモリゾ一流の白にて描かれていますが、上でも触れたようにモリゾのそれは単に眩しい光線を表現したのではなく、まさにジュリーを優しく包むような慈愛の体現なのかもしれません。テーブルクロスやカップ、それにジュリーのドレスまでが全く区別されることなく、塗ると言うよりも絵具を置くとでもいうような颯爽かつ大胆なタッチでまとめ上げられています。また、白より滲み出す水色の透明感も特徴的です。外に広がる海や空と連続するような屋内の空間を作り出しています。
同時期の「少女と犬」(1886)もモリゾならではの色が楽しめる作品です。藍色のように深いブルーのドレスを着たジュリーが、むくむくとした白い毛を見せる可愛らしい子犬を抱いて座っています。また椅子に少し斜めに腰掛け、頭上には観葉植物を配するその構図感も巧みです。無垢な犬をしっかりと受け止める、どこか憂いを帯びたジュリーの表情にも見入りました。
憂いと言えば、晩年の「夢見るジュリー」(1894)も忘れることが出来ません。ここにはこれまでのモリゾに特徴的な色遣いとタッチは消え、どこかルノワールのようなある意味で完成させた画風を見せていますが、成長したそのジュリーの姿に、親の手を離れつつある一人の大人の女性の自意識が現れているような気もしました。またそのような観点からするとこの展覧会は、単にモリゾの絵を時系列に観賞するのではなく、彼女の絵を通してみるジュリーの成長を、まさにモリゾと同じ視点に立って楽しむべきものなのかもしれません。画家の対象への優しい眼差しをこれほど感じたのは久しぶりのことでした。
ジュリーへの愛の反面、夫ウジェーヌ・マネの存在感が皆無に等しいものがあります。また対象への愛という点においてモリゾの絵と同等なのは、展示でも紹介されていたウジェーヌの兄エドゥアールにおけるモリゾ肖像画でした。上野のオルセー展にも出ていた超傑作、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」が生み出されたのは、単にエドゥアールの画力が優れていたからだけではないのかもしれません。
作品を女性風云々とするのには抵抗がありますが、少なくとも女性が美術学校に入れなかった当時、これほどの画業を達成したその事実に深い敬意を払いたいと思います。
11月25日までの開催です。(10/21)
「 - 美しき女性印象派画家 - ベルト・モリゾ展」
9/15-11/25
油彩から版画まで揃う(全70点)国内初のモリゾ回顧展です。率直に申し上げると彼女の絵に惹かれる部分は少ないのですが、それでも何点かの作品には印象深いものを感じました。独特な白の色遣いに、包み込まれるような光を感じる画家です。
画題を問わず、ともかくも娘、ジュリーへの愛情がたっぷりと注がれているような作品が目立ちますが、まず挙げるべきはちらし表紙も飾る「コテージの室内」(1886)でしょう。燦々と降り注ぐ光がモリゾ一流の白にて描かれていますが、上でも触れたようにモリゾのそれは単に眩しい光線を表現したのではなく、まさにジュリーを優しく包むような慈愛の体現なのかもしれません。テーブルクロスやカップ、それにジュリーのドレスまでが全く区別されることなく、塗ると言うよりも絵具を置くとでもいうような颯爽かつ大胆なタッチでまとめ上げられています。また、白より滲み出す水色の透明感も特徴的です。外に広がる海や空と連続するような屋内の空間を作り出しています。
同時期の「少女と犬」(1886)もモリゾならではの色が楽しめる作品です。藍色のように深いブルーのドレスを着たジュリーが、むくむくとした白い毛を見せる可愛らしい子犬を抱いて座っています。また椅子に少し斜めに腰掛け、頭上には観葉植物を配するその構図感も巧みです。無垢な犬をしっかりと受け止める、どこか憂いを帯びたジュリーの表情にも見入りました。
憂いと言えば、晩年の「夢見るジュリー」(1894)も忘れることが出来ません。ここにはこれまでのモリゾに特徴的な色遣いとタッチは消え、どこかルノワールのようなある意味で完成させた画風を見せていますが、成長したそのジュリーの姿に、親の手を離れつつある一人の大人の女性の自意識が現れているような気もしました。またそのような観点からするとこの展覧会は、単にモリゾの絵を時系列に観賞するのではなく、彼女の絵を通してみるジュリーの成長を、まさにモリゾと同じ視点に立って楽しむべきものなのかもしれません。画家の対象への優しい眼差しをこれほど感じたのは久しぶりのことでした。
ジュリーへの愛の反面、夫ウジェーヌ・マネの存在感が皆無に等しいものがあります。また対象への愛という点においてモリゾの絵と同等なのは、展示でも紹介されていたウジェーヌの兄エドゥアールにおけるモリゾ肖像画でした。上野のオルセー展にも出ていた超傑作、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」が生み出されたのは、単にエドゥアールの画力が優れていたからだけではないのかもしれません。
作品を女性風云々とするのには抵抗がありますが、少なくとも女性が美術学校に入れなかった当時、これほどの画業を達成したその事実に深い敬意を払いたいと思います。
11月25日までの開催です。(10/21)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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ジュリーの役割は大きいですね。
これが息子だったりしたら、相当違っていたでしょうね。
ジュリーがもう至る所に出ておりましたよね。
個人のアルバムを見るようにも楽しめる展覧会でした。
>これが息子だったりしたら、相当違っていたでしょうね。
やはり母と娘というのは特別なものがあるかもしれませんね。
ちょっと羨ましいかもしれません…。
混雑状況とか教えてくださいね、それによっていくかどうか決めますからー。
さてモリゾですが、自分の娘ばかり描いていたのは当時の男性社会で男を描けなかったからと新聞の評にありました。もちろん娘さんへの愛情はいわずもがなですがー。
女性は裸体による教育を受けられず、裸体表現はこの人の苦手とするところだとの解説もありましたよね。
しかし初期の彼女はアヴァンギャルドだ。
京都から帰って参りました。まずは拙い顛末記に書いた通りです。ご参考になれば…。
>さてモリゾですが、自分の娘ばかり描いていたのは当時の男性社会で男を描けなかったからと新聞の評にありました。もちろん娘さんへの愛情はいわずもがなですがー。
なるほどそういう事情もありましたか…。夫への余計な詮索は無用かもしれませんね。失礼しました。
>初期の彼女はアヴァンギャルドだ。
同感です。あのタッチは印象派という括りで語れません。