「高山辰雄遺作展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館練馬区貫井1-36-16
「高山辰雄遺作展 - 人間の風景」
9/12-11/3



没後一周忌に合わせ、日本画家、高山辰雄(1912-2007)の業績を振り返ります。練馬区立美術館で開催中の「靍山辰雄遺作展」へ行ってきました。

導入の一階部分に展示されていた大作屏風、「朝」(1973)と「夕」(1973)がともかく圧巻です。高山は戦後、ゴーギャンに感化を受け、独自の画業を進展させましたが、この二作こそまさにゴーギャンを日本人の手で呼び戻し、その土の上に落ち着かせたものの他なりません。そもそもこれらは高山が足掛け30年にわたり手がけた「日月星辰」シリーズの一つですが、「朝」ではそれこそタヒチから連れてきたような肉感的な女性が横たわり、力強き太陽も輝く金屏風の下にて、どこかプリミティブな汎自然信仰を思わせるようなイメージが展開されていました。一転しての「夕」は人生の落日です。達観した表情を見せるかの女性たちが、モニュメンタルな様にて佇んでいます。思わず手を合わせたくなるような神々しい雰囲気さえ感じさせていました。



率直なところ、高山の作風は私の好みから少し外れたところにありますが、彼の描く幽玄な花卉画はなかなか魅力的です。「牡丹 ガラス器に」(1989)に惹かれました。殆どモノクロを思わせるような暗がりの画面に、花弁の黄色と花の白とが、うっすらと沈み込むようにして静かに灯っています。最小限の色彩のみを用い、大きく咲き誇りながらも、既に枯れることを予兆させるような儚さは、まさに日本画のヴァニタスと言えるのではないでしょうか。彼は『時を描く』ことに注意して絵と格闘し続けたそうですが、花を通して垣間見える、万物の諸行無常な世界観を見事に示していました。

同じく牡丹を捉えた近作の「牡丹 洛陽の朝」(2004)は、そのわき上がる妖気にしばし足を止めてしまうような作品です。描きなぐったような激しく、断片的な線描に浮かび上がる白い花が、おぼろげな陽の下でただひたすらに咲いています。高山の作風は一概に捉えられません。絶えず新たな道を模索し続けた彼の、晩年に達した一境地が見られるような気がしました。



冒頭の「明るい日」(1934)や、代表作でもある「砂丘」(1936)などの良く知られた姿だけではない、高山の全貌を詳らかにするに相応しい回顧展であることは言うまでもありません。会場も練馬区美としては随分と賑わっていました。



11月3日までの開催です。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (一村雨)
2008-10-30 08:03:21
若き日のゴーギャンの影響を受けた絵から
晩年の幽玄な絵まで、一人の画家が絵を
真摯に追求して行った過程がよくわかりました。
いい展覧会でしたね。
 
 
 
Unknown (遊行七恵)
2008-10-30 12:41:39
こんにちは
かなり好きな画家なんです。
しかし最初は避けてました。
いつの間にか深く浸透しているのを感じてます。

牡丹はガラス器のがはろるどさんの好みに合いましたか。
わたしは銅器もよかったです。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-10-30 21:53:50
@一村雨さん

こんばんは。早速のコメントをありがとうございます。

>一人の画家が絵を真摯に追求して行った過程

同感です。
作風の変遷もまた彼の関心の在処の移る様を良く表していましたね。
前期を見逃してしまったのが残念ですが、
見に行って良かったと思うような、充足感のある展覧会でした。


@遊行さん

こんばんは。

>しかし最初は避けてました。
いつの間にか深く浸透しているのを感じてます。

なるほどそうでしたか。
とすると私もいつかはすうっと引き込まれる…、などということになるかもしれませんね。
殆ど見知らぬ画家さんだったので、まずはご挨拶をした感じでした。

>わたしは銅器もよかった

花卉画はどれも良かったのですが、あえて特徴的なガラス器の作品を挙げてみました。
時折使う、あの沈み込んで消えそうな白が何とも儚く思えます。
 
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