嘘の吐き方(うそのつきかた)
人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。
 



危険域に、差し掛かっているような気がする
悩むことに、苦痛を感じるようになってきた。
難しく考えていると、途中でどうでもよくなって、投げ出してしまいたくなる。

もっと真剣に、問題と向き合う方法は無いものだろうか。
たぶん、すごく単純な問題として、僕は今、幸せにあるべき時期なんだろうと思う。
それを意図的に不幸な領域に押し込めようとしている
自分のパーソナリティーが自分にとって痛いとはどういうことなのだろう。

ある意味では、投げ出してしまいたいのは、
キャラクターという「仕事」なのだろうと思う。
見えもしない空気の中から、一身に無意味な思い込みで責任を背負うというのは
胃痛がどうこうというよりは、妄想の領域に近い問題だと思う。

そう言えば、肩が凝るのは日本人だけで、
外人は背中に痛みを感じているのだという話があった。

もともと、たった一人の世界の孤独の中で
思い込みの構築だけを続けてきたのなら、
誰かに責任を背負わされるというのは、そもそもから前提が間違っている。
誰かから何かを負わされているのなら、
それは誰かのせいにできるけれど、同時に他者や他人の存在を認めていく
別な道にも繋がっていなければおかしい。

僕が前提としている死の出発点、
存在の希薄さ、現実感の無さ、あるがなしさ、
そういうあやしいオカルトじみた感覚をしょっているのなら、
責任を感じて苦しんでいるのではないはずだ。

そこから順に考えていくと、土人形のシミュレーション数が
あまりにも膨大になりすぎて疲れている、
という事の方が近い。

だったらやっぱり、僕にできることは、
もう一度原点に帰ることだと思う。

僕のしたい事、僕が確かめたいこと、僕が欲しがっているもの、
僕を文章中から失う事、入り口を失う事、出口を失う事、
なくすことで、あろうとすること、
疑いを信じる事、ねじれを真っ直ぐに解消すること、
あちら側と、こちら側を、繋ぐこと。

もうずいぶんと、遠回りしてきたような気がする。
そろそろ終わらせてもいいんだろうか。
考えることも、感じる事も、悟ることも、アろうとやっきになることも、
なにもかも、もう終わらせてしまっていいんだろうか。

ほんの一瞬だけ、つながろうとすることで、あろうとする奇跡の心臓なら、
もう僕は。

なくしてしまうことでしか、君に伝わらない存在だけの悲しい僕なら、
もう僕は。

あまりにも何かを欲しすぎている。
受け取ることのできない何かを、
伝わる事のない何かを、
触れる事の出来ない何かを、
欲しがりすぎている。

僕は壊れた方がいいのかもしれない。
だけどそれでも。

僕は、たったひとりでも、自殺する僕を好きでいよう。


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