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news commentary

政局報道記者の懺悔

2023-09-23 19:25:56 | 政治

「30年以上、政局取材に身をやつすと、消したい過去は幾つもある」と朝日新聞編集委員の曽我豪氏が「人事で政権が浮揚しようか」というタイトルの論評で書いていた(朝日新聞9月17日付3面「日曜に想う」)。

詳しいことは新聞を読めばわかるが、曽我氏の論旨は①これまでにいろんな首相が人事で政権浮揚を狙うと何度も書いたが、実際に浮揚した例は少ない②世論の関心は「剛腕」や「国民的人気」「党内融和」に頼る人事ではなく、政策や国会対応がいかに改善されるかにあるからだ、と曽我氏は書いた。

長い間朝日新聞を購読している私も同紙の政局記事には飽きあきしている。例えば本日(9月23日)の朝刊4面には木原誠二氏を自民党幹事長代理に据えた岸田首相(自民党総裁)のねらいは、次の総裁選挙で競争相手になる茂木敏充氏を抑え込むためであるという自民党内の政局記事が長々とつづられている。自民党は派閥の集合体であり、派閥は首相や閣僚を送り出す母体である。永田町界隈で国会議員や大臣や秘書官、官僚たちと接している記者の中には、それが日本国の政治報道であると妙な勘違いをしている人もいる。自民党の中の権力争いを伝えることが、すなわち政治報道であると思い込んでいる。

この手の政局記事は読み手である私は長い間うんざりしてきた。書き手である記者の方も政局記事を書き続けることに、実は倦んでいたことがわかったのは収穫だった。

曽我氏は論考の末尾で次のように語っている。「私たち政治記者の本務は、主権者の審判に資する確かな情報の提供にある。……自分は政局の勝者にまんまと利用されたのではないか。世論をたきつける旗頭の思惑と、政策効果や実現可能性など旗印の難点を政局と同時並行でもっと伝えるべきだった。……一種の罪ほろぼしだと思って私はこのコラムを書いている」

曽我氏のこの述懐は重要である。主権者の審判に役立つ情報を得るのが仕事である政治記者が、政治権力を持つ側の思惑にまんまとはまって政局記事を書いてしまう。有権者の側の側は政治権力を持つ人々が何を考えているのか、それとも、いないのかを知らねばならない。政権が選挙結果に従って出来上がる社会では当然の情報だ。それと同時に、現在政権を握っている政党や政治家にとっては、その地位を守るために有権者を靡かせるような情報をメディアで流布させる必要がある。有権者に必要な政治的情報と、政府首脳に必要なプロパガンダの双方を仲介するのが政治記者と政局記者である。

ベテランの政治記者が政局報道を悔いて、この先うかつな政局記事は書かないと示唆したのだが、一編集委員の懺悔だけで政局記事の過剰流通が収まるわけでもなかろう。

新聞報道が社会に与える影響力に関しては、マス・コミュニケーションの理論書でもそのインパクトの強弱について定説はない。とはいうものの、朝日新聞がかつて連載した『新聞と戦争』(https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=1378)を読めば、マス・メディアが権力に取り込まれた時の悲惨な社会がわかるだろう。日本社会がこのようなおぞましい時代を再来させる愚は避けなければならない。

新聞は利益を追求する私企業である。新聞社の収入は企業と従業員を守り、新しい時代の報道態勢を整えるための資金となる。したがって、新聞は読者がどんな記事を読みたいかを考えねばならない。新聞はニュース産業として社会に対する責任を負っている。ストレートな政治記事は読者を退屈させる。スポーツ報道のような政局記事は社会の論理的思考力を弱体化させる。

政治担当の著名な編集委員の懺悔を機会に、政治ニュースのバランスのとれた伝え方を、記者の心構えだけでなく、編集上のシステムとして新聞社が構築することが望まれる。

(2023.9.23 花崎泰雄)

 

 

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