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news commentary

カダフィ大佐のおなら

2011-10-21 22:47:22 | Weblog

リビアのシルトの戦いでムアマル・カダフィ大佐が死んだと報道された。1942年生まれ、享年69歳。反米の反逆児という道化を演じ、自らの狂気で中東の矛盾や国際社会の二重基準を浮き彫りにしてみせたが、その代償はリビア国民にとってあまりにも大きかった――10月21日の朝日新聞朝刊はそう論評した(中東アフリカ総局長・石合力「自国民を殺した末に」)。

碩学・井筒俊彦の『イスラム生誕』(中公文庫)は砂漠の民ベドウィンは同じ血を分けた家族、同部族民、友人、客人としてテントに迎えた異教の人には限りなく優しいが、異部族に向かうやいなや恐るべき悪鬼に変貌してしまう、と書いている。ムハンマドと同時代のベドウィンの話だ。では、21世紀の今のベドウィンはどうなのだろうか。同じ部族民の意識と同じ国民という意識に、強弱があったのだろうか。

カダフィはベドウィンの出自である。海外出張に出るさいテントを運ばせたのもベドウィンのスタイルにこだわりがあったからだ。

さて、いくつかのメディアのカダフィ評を読んだ。いわんとするところは冒頭の朝日新聞の論評と似たような話だが、BBCのサイトで読んだJohn Simpsonの "Gaddafi was ‘killed in crossfire'" は面白かった。この記事の中で、シンプソンはカダフィのおならのエピソードを披露した。

かつてシンプソンがカダフィをインタビューしたさいに、カダフィは音高らかに放屁したそうだ。シンプソンによると、インタビューは40分間にわたり、すべてが録音されていたが、その間、カダフィははばかることもなくおならをぶっ放していたという。

千夜一夜物語にこんなベドウィンのおならの話が伝えられている。イエメンの街に定住して商人として裕福な暮らしをしているベドウィン男性アブ・ハサンがの美女と結婚することになった。

着飾った花嫁を来賓が祝福している部屋に花婿のアブ・ハサンが入ろうとしたとき、ごちそうをたらふく食い、たらふく酒を飲んでいた花婿は、不覚にも来客の真っただ中でおならを響かせてしまった。

事の重大性に、来客はその音が聞こえなかったふりをして、声高に雑談をはじめたが、花婿アブ・ハサンは羞恥のあまり、そのまま馬に乗って出奔してしまった。

アブ・ハサンは放浪の果てにインドにたどり着き、インドの王様から優遇されて幸せな生活を送った。それから十年。アブ・ハサンはホームシックにかられてインドを出奔、放浪の
末、故郷の街にたどりつた。

故郷の町はずれのとある家で、小さな女の子が母親と話している声が聞こえた。

「お母さん、私が生まれたのはいつ? お友達が誕生占いをしてくれるの」
「お前はね、アブ・ハサンがおならをした、ちょうどその夜に生まれたの」

自分のおならが暦の一部になっていることを知ったアブ・ハサンは、もはやこれまでと、インドにとって返し、とうとうインドでその生涯を終えましたとさ。

ベドウィンにとっておならとはこれほどセンシティブなものだというお話だ。もしカダフィが健在な折にこんな話がBBCで紹介されていたとしたら、彼は刺客を放っていたかもしれない。

独裁者といえど権力の座を追われ―それに、死んだとなっては、水に落ちた犬。あわれな話である。

(2011.10.21 花崎泰雄)
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