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As Time Goes By

2011-08-28 23:42:46 | Weblog

8月下旬、仙台から国道45号を車で北上して、南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、大槌町、宮古と、大震災の被災地のその後をかけあしで見て回った。

5月に見たときは、まだ津波の傷跡が生々しく残っていた。6月に行ったときは、ちょうど気仙沼の魚市場が再開したしたところだった。

8月、各地でがれきの整理が進み、被災地に漂っていた異臭も消えていた。徐々にではあるがあとかたづけは進んでいる。



とはいっても、南三陸町ではJR気仙沼線がズタズタになったままで、復旧のめどはまったくたっていない。気仙沼では津波に運ばれた船がそのまま陸上に残っていて、観光名所になっている。



陸前高田では高田松原の松の木のなかで一本だけ残った「一本松」が、さびしく立っていた。



町長が職員とともに津波にさらわれた大槌町役場あとには弔問の客が絶えない。



宮古では町中がきれいになり、魚市場も再開していた。岸壁では漁船から水産物の水揚げが行われていた。5月に見たときは、魚市場は荒れ放題で、干からびた魚がコンクリートの上に転がっていた。







夕暮れの魚市場で立ち話をした市場の関係者は、仮設住宅から市場に通っていた。これから家を建て、仕事を軌道に乗せてゆかねばならぬ。だが、どうやって。前途は多難だが、なにごとも時がたつにしたがって、少しずつよくなってゆくものだと考えることにしていると話してくれた。

As time goes by ――時がたつにしたがって。

記録によると三陸海岸は、860年、1611年、1616年、1676年、1696年、1835年、1856年、1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)に大津波に襲われている。時が解決してくれるというのは経験にもとづく知恵である。だがが、どれほど待たねばならないか、という問題がある。ながくは待てない人もいるのだ。


宮古から盛岡へ行った。東日本大震災のせいで遅れていた岩手県知事選挙が始まっていた。盛岡市内のにぎやかな通りに現職知事・たっそ拓也候補の選挙事務所があった。事務所の玄関のドアの奥に男のポスター貼ってあった。



笑みを浮かべたポスターの男は……闇将軍こと小沢一郎。

東京では、菅直人の後継者を目指す海江田万里の守護神におさまっている。小沢が新しい民主党代表として海江田を推すことに決めたさい、グループの会合では「今回は海江田首相、来年は小沢首相」と怪気炎をあげる者がいたと、新聞が報じていた。

最近、読み返した京極純一『日本の政治』(東京大学出版会 1983年)によると、かつての自民党の権力争いは、有権者そっちのけの派閥の指導者級の古株議員数十人による椅子取りゲームだった。このゲームの走り使いをするのが、陣笠議員、秘書団、政治ジャーナリストである、と同書はいう。

As time goes by ――時は移れど。

結局、政治集団としての民主党も、その体質において自民党そっくりだったわけだ。闇将軍・田中角栄がやったことを、その弟子の小沢一郎がやっている。

日本の政治家を変えるには、日本の有権者が変わる以外に方法がない。したがって、当面、日本の政治家のレベル向上は望めない。

そうであるとしても、せめて、大震災と原子力発電所壊滅の後始末に取り組んでいる大勢の人々、災害から立ち直ろうとしている人々、かれらのやる気をなえさせるような、あさましいふるまいへの羞恥心を、永田町の人たちは取り戻してはどうか。

(2011.8.28 花崎泰雄)

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