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天下り国立大学長誕生へ

2007-07-11 16:25:16 | Weblog
新聞報道によると、2006年度末現在で、3万人弱の国家公務員が5000弱の団体に天下りしていた。それらの天下り受入れ団体に対しては、2006年度上半期、中央省庁から約6兆円の補助金などが交付されていた。

許認可権を独占し、収入があれば、有無を言わさず税金を取り立てる国家は、日本国最大のゼネコン事業体であり、そことのパイプを太くして金の流入を図る、というのは、護送船団方式の時代から大競争時代の現在まで“民間の知恵”であり続けている。

というわけで、国立大学が2004年4月から、国立大学法人法によって、文部科学省の直属機関からはずされ、独立行政法人の親戚のような国立大学法人になって3年余。お役所とのパイプを渇望する地方国立大学のひとつが、文部科学事務次官の天下りを乞い願うところまできた。いわゆる産官学連携の成熟である。

1年ほど前の2006年4月の文部科学省の資料では、前年度、文部科学省の古手の官僚160人が独立行政法人の役職員などに再就職していた。このうち国立大学法人への就職は非常勤も含めて10人だった。この中に学長として天下った者は、さすがにいなかった。

2007年7月6日、それまで文部科学省事務次官だった結城章夫氏が、退任の記者会見で、山形大学の学長選挙に出馬すると、メディアを通じて世間に表明した。選挙に出馬するのであるから、天下りの定義からは外れるが、いろいろ聞くところによると、天下りの変種である。

結城氏が退任記者会見をした7月6日は山形大学の学長選挙立候補に必要な「所信」提出の締切日だった。結城氏は夕方提出した。朝日新聞によると、次官クラスの人事は国会開会中は行わない慣例。国会が7月5日に閉会したので、次官辞職が認められた。綱渡り的ギリギリの日程での立候補だった。 結城前文部科学事務次官は記者会見で「地方大学の位置づけが非常に難しくなっている。私が文科省で得たいろんな知識、経験を何らかの形で役に立て、ふるさとの大学の発展に貢献できれば幸せ」と述べたそうである。
 
山形大学の学長選は、現学長の任期がこの8月いっぱいで満了するためおこなわれる。6月25日に教職員による投票、26日に学内外の委員で構成する選考会議が最終的に決める。

新首都圏ネットワークに山形大学理学部の品川敦紀氏が寄せた内部情報によると、

① 前回の学長選考手続きでは、3月末に第1回選考会議が開かれ、5月末に学内意向聴取と学長候補決定の手続きが行われ、候補決定から就任まで3ヵ月の時間的猶予があった。
② 今回は,第1回の学長選考会議を、前回に比べて約1ヵ月遅らせた。学内意向聴取と候補決定を7月末に行う日程を決めた。これは、国会会期中は、現職高級官僚は、辞職しないという約束、慣例があったためである、とみられている。
③ 現学長、現天下り理事ら、現山形大学執行部は、文科省事務次官の学長就任となれば、当然天下り批判が出る事を予想し,大学構成員の意向によるとの見せかけを作るため,学部長、評議員や、執行部に近い有力教員を集めて、各学部から結城氏の推薦を行わせた。このことは、学部長らの証言で明らかになっている。
④ 学長選考会議は、学内意向聴取(学長選挙)における各候補の得票数を非公開にする決定を行った。5学部の教授会が決定の再検討を要請した。
⑤ そこで第2回の学長選考会議が開かれた。会議では、公開支持5、公開反対が反対派の議長をふくめ5という状況だった。議長が最初の採決から加わって議決権を行使し、5対5の賛否同数にしたうえで、今度は「議長職権」と称して裁決権を行使、非公開決定を再確認した(学長選考委員会規則には、議決のルールが書かれていなかった)。すべては現学長、現天下り理事らと学外委員らが仕組んだ結城前文部科学事務次官を山形大学長に迎えるための策略と見られている。

国立大学が国立大学法人になり、東京大学を頂点とする旧帝大系だけが勝ち組になり、地方弱小大学は衰退の予感におびえている。前文部科学事務次官を学長にお迎えするのも民間の知恵に習った必死の延命策だろう。

結城・山形大学長の時代がやってきて、そのとき文部科学省がちょっとはご祝儀をはずんでやれば、 また次の国立大学法人が文部科学省の古手の高級官僚をシャッポに欲しがることになろう。官僚にとっては天下り先拡大のチャンス到来である。

「百姓は生かさず殺さず」という伝徳川家康のセリフが何の脈絡もなく浮かんできたりして……ああ、まだ梅雨は明けぬか。

(花崎泰雄 2007.7.11)
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