老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『佐高信の反骨哲学 魯迅に学ぶ批判精神』

2009-03-20 09:25:07 | 評論
ハノイからホーチミンへ団体旅行。総勢20人くらい。そういうのに慣れてないのでキワメテ疲れる。しかもジイさんが多くて、、後ろから蹴とばしたくなるショードーをなんとか理性で抑えた。でも飛行機の中では別々の席で、ワタシに与えられたわずかな自由時間にコノ本を読んでいたのだが、いつも思っていたことについてハタとよくわかったような気になった。それはベトナム人が飛行機の中でも平気で携帯電話をかけることに対して、それはモラルがないとか、言うことをきかないとかそういうことではなくて、それはこの本に書いてある、権力の嘘を見抜く力をカレ等が身につけているからではないかということ。ひっり返せば、いかにワレワレは権力の言うことをウのみにすることに慣れ切ってしまっているかということだ。

それというのも佐高サンは魯迅の批判精神について書いていて、ニッポンと中国の権力に対して批判をし抜いた魯迅の思想をいまのニッポン人は見直す必要があると言っている。たとえば武谷三男というひとが言っていてソレこそがまさに魯迅の思想だといって次のようなことをあげている。それはニッポンの教育でよくいわれている、「嘘をつくのは悪いことだ」ということは、権力の前で嘘をつくことによってのみコロされずに生きのびている人間にとって奴隷になれと言っているに等しいことで、そうではなくて、本当の教育に必要なのは嘘を見抜く力を身につけさせることだというようなこと。このへんがじつにすっきりとわかりやすい。佐高サンは「日本人の好きなそういう建前的キレイごと道徳」をぶちこわさないとニッポンは再生しないと言っている。「簡単に嘘をつくななどというな」ということだ。

もともと教育は権力者がジブンたちの都合のいいニンゲンを作り出すためにやっていることで、権力システムのピラミッドのなかでそれがじわじわと広がっていく。テレビなんかはそのなかでも上のほうに位置していてカレ等がコクミンに対してやっている「教育」はキレイなオジョーちゃんが穴ウンサーです、みたいにして出てきて、切り貼りで作り上げた映像と合わせて嘘をもっともらしく世の中にタレ流している。特に日テレみたいな経営者が権力と抱き合ってるようなところなんか。
今一番必要なのはカレ等の嘘をどうやって見抜くかという能力を身につけることで、毎日一つか二つガセネタを流して、今日の嘘はなんだったでしょうみたいに賞品かけてやったらどうかと思うくらいだが。

携帯電話について言えば航空機の運航に支障があるかは疑わしい。ドアの外はよくて中に一歩でも入ったら電源を切れというのは全く非科学的だし、そんなにアブナイならもっと厳重にチェックするべきなのにニッポンの飛行機でさえCAがヤサシクささやくように注意する程度だから深刻な問題とは思えない。カノ女たちは言われてるからやっているだけで、カノ女たちに嘘を見抜く力を求めても無駄なのだ。電車の中で今でもタマに放送されている医療機器に影響があるというのはキワメテ限定された条件のもとでのことで、町なかの普通の場所では起こり得ないことが実証されている。病院でも携帯を禁止しているところは時代遅れのアブナイ病院だと思わなければいけない。NTTが証明して、最初にジブンのところの病院で携帯を使えるようにしたわけだから。うるさいから使うな、と言えばいいものを運航に支障があるとか医療機器に影響があるとか言っているところに嘘の臭いがプンプンする。
ベトナムの飛行機では特に着陸したあとなんかみんながいっせいに電話をかけ始めるからうるさいのなんのって。それでもアメリカの嘘を徹底的に見抜きとおしたヒトたちとその子孫であるカレ等は、権力の嘘にはだまされないぞと言わんばかりに携帯に向かってしゃべり続ける。