老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ロクシタンカフェ@渋谷

2009-06-15 00:04:45 | 散歩
日本では芝居以外はひたすら散歩。コッチは清潔で明朗会計のコンビニがどこにでもあってよく冷えたペットボトルの飲み物を簡単に買える。たとえコンビニがなくても自動販売機が、これはもう石を投げれば当たるくらいにあって、コレに関してはアッチにはまったくないものだけに、便利というか、なきゃないでそれほど困らないんじゃないかと思ったりして。電車もバスも長くても10分も待てば来て行きたい所に行ける。道を歩いていても信号が赤になれば車は確実に止まるし、後ろから意味もなくクラクションを鳴らされることもないから道を歩くくらいのことにジブンの命はジブンで守らなきゃ、みたいなヘンな神経を使う必要もない。食べ物屋ではフォークを使う前にティッシュで拭いたり、箸たてから箸を選ぶのにどれが一番汚れていないかを真剣に見なくてもいい。
やっぱりアッチはニッポンの4、50年前くらいの状況で、ニッポンと同じようにこれから発展していくのかどうか知らないが、そういうところでもう一度、同じような変化のプロセスの中に身を置くのはやっぱり疲れるなあー、という感じ。

それはそれとしていまだに政権にしがみついているアソーさんが、キヨミズの舞台から飛び降りますみたいな顔して二酸化炭素削減の目標を発表したら世界中から、それっぽっち?みたいな失笑の嵐になっていてハタから見てても羞恥心のツボが刺激されまくり。出し方がへたというか、すぐに突っ込まれるのがわかっているのにソレへの準備がまったくできていない。ボケだけの漫才みたいな。
で、なんで失笑の嵐かというとニッポンとかほかの先進国はこれまで発展する間にとんでもない量の二酸化炭素を出しているわけで、インドや中国なんかのいままさに発展しつつある国は先進国が主張している一律の制限をしたら発展が止まってしまって困るのでこれまでのトータルで考えるべきだと言っている。
コレはじつにわかりやすい主張でごもっとも、といって引き下がるしかないと思うのだが、相変わらず大衆迎合政治の片棒を担いているテレビのニュースなんかを見てると、この削減のために家庭の負担が年に7万円かかるとか、日頃のアノどうでもいいレジ袋削減運動はどこにいったのかという雰囲気。地球にやさしい、とかそういう歯が浮くようなセリフには何の抵抗も感じなくて、実際に二酸化炭素を削減しようとなったら、24時間やってるコンビニなんかも夜の10時には閉めて、町中の自動販売機も全部撤去して、自家用車も燃費が良かろうが悪かろうが税金高くして、どうしてこんなことになっちゃったんだろうという値下げしまくりの高速道路通行料ももっと高くして、早い話、4、50年前の生活に戻るくらいのことをしないとハッキリ言ってもう元には戻らないことがわかっているのにそういう現実には目をつぶっている。
もちろん技術の進歩で多少クリアできる部分もあって、ソコを突っ込めば生きる道が見つかるっていうような、世の中前進あるのみみたいな考え方もあるが、基本的には相当後退しなければはなしにもならないのが現実なのだ。

で、うちには車もないしクーラーもないので電車で涼んでひたすら散歩して町のカフェで一服。ロクシタンはヴァーベナのオードトワレを前に買ったことがあって、モンシロチョウのような独特の香り、というか匂いは嫌いではない。ハノイにも店があってあっちで買うと安いのかどうか、今度見てこようかと。
こういう自然志向の企業が実際にはどうなのかというのはよくわからない。冷房やめます、みたいな、そういう思いきった店にでもすればわかりやすいのだが。

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