老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『世界の秘密と田中』byラッパ屋

2010-01-11 22:17:33 | 演劇
ラッパ屋1年ぶりの新作。コレを見るためにニッポンに帰ってきた。見終わってすぐの感想を先に書くと、まわりがそう言うからかもしれないが、すっかり中高年向け劇団のイメージが定着してしまって、今回もジンセイの半分を過ぎていまさらやり直すこともできなくて、親のカイゴとかジブンのいろんなところの衰えとか、いろんな面倒なことも背負い込んで、いったいジブンは何なんだと叫んでみても何も答えはなくて、それでも結局は気の持ちようでどうにでもこの先変わっていく、みたいな話。あまりにリアル過ぎて、、次もこの路線だったらもう見ないかも。

と思ったのもツカの間。1日以上たって芝居がワタシの中で形を変えていく。あのセリフは本当は一体何を意味していたのか、とか、そういうことが見えてくる。役者が言う。ジンセイは思ったほどおもしろくないと。それに対して、ソレは予告編を見過ぎたためだと言い返す。おもしろいコトばかりを先に見せられて期待ばっかりふくらまされて、それで本編を見たところでソレは意外とつまらないモノなのは仕方ないんじゃないかと。

今回の主人公のオトコ=田中はまさにそういう子どもの頃の期待を引きずってオトナになった。シゴトに行き詰って、もっとジブンの力が発揮できることがほかにあると思いながらふんぎりがつかなくて、その上長年付き合ったオンナをジブンの数少ないトモダチにとられ、母親もまたジブンのアパートの隣人とネテしまう。
そういうどうしようもないところに追い詰められながらジブンを納得させるためにそのオンナの結婚パーティーの司会を買って出る。その母親もまた別のオトコと寝たことを、半分ぼけて自分がカイゴをしている夫に説明しなければならないという。そうしないとジブンが納得できないから、みたいに。そのへんがこの芝居のキモなんだがそこのところがワタシとしてはその場では理解できなかった。ダマッてじっとしてりゃいいじゃん、と思った。

そこに世界の秘密だ。世の中はそういうダマッてりゃいいような、ひとりひとりがココロの中にしまっておけばいいようなことでいっぱい。ひとりひとりの秘密だったり世間全体が共有するウソだったり。テレビのニュースがウソのかたまりであるようにもっともらしいものに限ってウソの度合いが高い。だからそういうウソと秘密の世界にいる限りジブンを取り囲む世の中は今のまま変わらない。そこから飛び出すことで世界が変わる。そういうことだったのかもしれないと思いながら、芝居はその場かぎりで消えていくはかない夢のようなものなのだ。

2010.1.10 新宿、紀伊国屋ホール。