老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『愛の渦』/ポツドール

2009-02-21 09:22:13 | 演劇
コレはキワメテ文学的な作品、というか、06年に岸田國士戯曲賞を受賞した作品の再演で、けっしてえロとか、ワイせつとか、そういうものではありません。。って最初に断らなくてもいいんだが。だって中身はラン交クラブの一夜をナマナマしく描いたドキュメンタリー調で、夜の10時から朝の5時までに繰り広げられるオトコとオンナのヤリまくりの合間での人間関係というか、、そもそも人間関係の生じない形での関係を求めて人が集まっている場所での人間関係を、それこそがまさに人間どうしの本来の姿でのぶつかりあい、みたいに見せている。

舞台は新宿かどこかのバーのようなところで、はじめに一人の若くていかにもお勉強大好き、みたいな女子大生がソファに座ってじっとしている。そこに夜の10時を過ぎて8人の男女が一人ずつ入ってくるが、なにせ音楽がおぢサン的には爆音的な大きさで、会話も聞こえないしいったい何が始まるのやらとひそかにコーフンが高まる。で、シーンごとに暗くなってスクリーンに時間とか、バロック調の絵とか音楽が流れて場面が変わるのだが、11時になるといきなりみんながタオル一枚の格好で床とかソファに座っていて、店長のような人がそろそろ始めましょうかと言っていよいよアレが始まるかと思いきや、最初はゴーコンとかでもそうであるように、ってワタシ、ゴーコンしたことないんデスけど、ぎこちない男女のしゃべり、というか、初めてデスカ、みたいな会話でお互いに探りを入れながら、じゃあまあ、みたいな感じでとりあえず的にカップルができあがっていく。で、実際のソノ場面は作者も書いているように表現としては退屈なプロセスだから具体的には見えてこないでカーテンの向こうから声だけが聞こえてくる。まあ、アダルとビデお的な映像が3分も見ていれば飽きるように、ソレ自体は空疎な行為なのかもしれないというような表現。

で、ひととおり一回目が終わって2回目に入ろうとするとだんだんそれぞれの人物がホンネをさらけ出してきて、あのオンナとヤリたい、とか、女のほうもアタシ、あんなことされたい、みたいなふうに変わっていく。それが夜中の1時頃。で、さらに進んで3回目に入ろうとすると、、あいつはキモいとか、臭いとか、ホンネ丸出しで感情が渦を巻いて激しい関係が繰り広げられ始める。
その結末はじつにリアル、というか、日常でもよくあるような、祭りのあとの寂しさ、というか、それとも少し違うのだが、こんなことしてないで、本当の愛、なんていうと場違いなのだが、普段のつまらない生活のほうがほんとうは楽でキモチ良かったりするかもしれないという後悔の念のようなものにおそわれる。それで朝のまぶしい光が窓から差し込んで、ほんとに一晩、いけないことをしてしまったみたいなキブンになってひとりひとり店を出る。

脚本と演出の三浦大輔サンは下品で低俗なものの中に人間の本質が垣間見える、と書いていて、それは男であろうが女であろうがおんなじで、そういうものがもっともスナオに現れるのが風俗的なところだろうと言っている。実際、こういうのを自分でも体験して書いて、岸田賞の審査では観察眼がスルドイ、みたいにほめられたらしいが、この前の村山ユカさんもそうだが、作家たるもの当然自分の感覚だけがすべての拠り所なわけで、そこからでてくるものをすべてさらけ出せるかどうかが大事なところなのだろう。
ポツドールは今回は初めて観たが、コレ系の芝居で演劇の世界ではキワもの的な存在。これまで観てこなかったのが悔やまれる。
昨日の劇場は補助席まで出る盛況。ワタシの席は前が座高の高いニーちゃんが座って、舞台の1/3がずーっと見えなくて、その方面に熱心そうな人が集まったカブリつきの席がうらやましかった。もう一回行こうかと真剣に悩んだりして。

2009.2.20 もうすぐ閉館する新宿・シアタートップス にて