老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

手羽先唐揚@横浜・鳥良

2009-02-01 09:17:10 | 風景
昨日は雨が昼前にあがったので東京ケイバの初日のメインレースのお馬サン切符を買うための、ソレ用の口座にお金入れるためにとりあえず外に出た。一緒のムスコはケータイがぼろぼろになって、ホントにどんな使い方すればこんなにぼろぼろになるのかってくらい、金属の部分がさびついて、画面が反り返っているのをこっちにチラチラ見せるもんだから、どこまでぼろぼろになるまで使えるか、いっそのこと限界まで使ってみては、と言ってみたが結局買い換えさせられることになった。

それはそれとして小中学校でケータイ禁止って、新聞なんかもそれに同調する論調で、何年か前に回転自動ドアが全国の建物から撤去されていったときと同じような感覚。回転ドアに挟まれて死んだ子どもやケータイでいじめられて死んでいった子どもが気の毒であるのは間違いないが、何も考えずに臭いものに蓋をするような反応はとてもブンカ的な国の話とは思えない。ニッポン人は回転自動ドアさえも使いこなせない知能の低い民族だったのが、今度はケータイもか、という情けない話。
回転自動ドアをなくしてもジブンの子どもの身の安全さえも守れないバカ親は相変わらず世の中に蔓延しているわけだし、ケータイを学校で禁止したところで家では使っているだろうし、そもそもいじめは会社とか近所付き合いとかでも、異質なものをとにかく本能的に排斥する、そういう大人の社会も含めた民族全体の病気なわけだから。
議論をしない、問題の本質には目をつむって小手先の解決だけでその場を取り繕う、その結果、バカが野放しにされて死者が続くのだ。

無駄を承知で正論を吐けば、回転自動ドアは人が建物に出入りするときの建物の中と外の空気の流動を完全に遮断するから空調の無駄を大幅に減らすことができる。ニッポン人の大好きな環境にヤサシイ道具なのだということ。普通に使っていればそれに挟まれて死ぬなんてことは起こりえない。エレベーターの制御システムが暴走して扉が開いたまま上昇するのとはワケが違う。
そしてケータイは言うまでもなくこれから何百年か進化していく情報革命が生み出した有用な機械で、それを技術吸収力が最もある小中学生に使わせないとしたらどういう影響が何年後かに出るか。こういう技術が急速に進化しているときにはそれに乗っかっていかないとあとになって追いつけないのは過去の事例が証明している。
集団のルールを決めるときはよく議論をして集団として正しい判断をする。その過程では孤立を恐れず、かといって妥協も厭わず。学校でそういうことを教えなければいけないのだ。

というわけでケータイの手続きをしている間に入った店で食べた手羽先の写真が意味もなくのっかっていたりして。