老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『歩いても 歩いても』

2008-07-06 07:33:24 | 映画
出張強化WEEKが終わって金曜の夜にレイトショーでコレを見た。レイトショーもコレが最後か、というのももうすぐ夫婦割引が使えるようになるから。いや、やっぱり一人で見たいエロっぽいのとか、安く見ようと思ったらレイトショーに行くんだろうな。そういう元気さがあればの話だが。

題名はいしだあゆみの名曲「ブルーライトヨコハマ」から。歩いてもぉ~っ 歩いてもぉ~っ 小船のよお~おおぉ~にぃ~、ってあの部分。ジンセイの晩年にさしかかった親を見ながら、歩いても歩いても世間の波に揺られていつか沈没してスクラップになっていく、というような話を小腸、いや象徴している。(昨日に続いてくどいか)

医者を廃業してすることのない原田芳雄と樹木希林の老夫婦の家に、かつて家を飛び出して勝手に暮らしていて今は失業中の阿部寛と子連れで結婚した夏川結衣の夫婦が1年に一度のオツトメで帰ってくる。海で溺れた子どもを助けて代わりに死んだ兄の命日ということで。
家には阿部の姉のYOUが存在感のない夫と騒がしくて可愛げのない2人の子どもと先に来ていて、親が死んだら家をもらおうと、イイ娘ムコ夫婦を演じている。
阿部のほうは跡継ぎになることが期待されていた兄に比べて出来が悪かったことから父親とうまくいってなくて、しかも子連れのバツ一オンナを連れて帰ってきたもんだから嫁さんに対する嫌みに耐えながら1日を過ごす。そういう1日の中で親の老いをひしひしと感じ気持ちが微妙に変化する。
前の芝居と同じで人間が生まれて混じりあって消えていく、そういう波が押し寄せて引いていくようなおんなじことの繰り返しの中で、一度立ち止まってゆっくりその意味を考えてみたら、みたいな映画だ。

ストーリーは大きなヤマもなくタンタンと進んで終わる。カンドーの押し売りみたいなのを求めているヒトには退屈のキワミのような映画だが、映画としてはそういう退屈さも含めた全体で何を表現できているかが重要なのでコレはコレでよくできている。
唯一の強い表現だったのが死んだ兄が助けた子どもが大人になって毎年線香をあげに来るのだが、大学を出て就職もできず、ただぶくぶくデブになっているだけで汚い靴下履いたそのオトコに樹木希林がやさしく言うところ。また来年も必ず来てね、って。オトコが帰ったあとで、あんなどうしようもないヤツのためになんで息子が死ななければならなかったのかと父親はムナシクやりきれない思いを抱く。もう来てもらわなくていいんじゃないかという阿部に対して樹木希林が静かな怒りをこめて言う。そう簡単に忘れられたんじゃたまらないって。生かしながらコロシ続けるような場面だ。

夏川結衣のツレ子が、死んだ人に話しかけて何になるのかと繰り返し聞く。年をとると、たくさんの死んだヒトのタマシイにまどわされ続けて生きなければならないが子どもにはそれがわからない。越前クラゲの大群のように体の回りに霊魂がまとわりついている。それでもってだんだんその重みに耐えられなくなって底のほうに沈んでいく。

監督、原作、脚本、編集が是枝裕和。樹木希林とYOUはさりげなく腹の裏側のほうまで見せるような演技。
2008.7.4 川崎・チネチッタにて