孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

組織腐って、選手も腐る

2018年08月21日 | 社会観察
アジア大会に参加中の22~27歳のバスケットボール選手4名が、日の丸のついた公式ウェアを着て食事に出た後、多分現地の売春婦と交渉して、ホテルに連れこみ、9000円払って、やることをやった事がバレてしまったようだ。

昨日帰国させられた4名は、記者会見に臨んで謝罪していた。

もう見飽きた光景だった。そして例によって今後の調査は第三者委員会に委ねるそうだ。

     

これだけ、次から次へ運動選手の不祥事が度重なると、やはりここに至った共通の原因があると考えるのが自然である。

子供の頃から、学校や地域のスポーツクラブなどに所属して、スポーツ一筋に勤しんできた選手たちは、やはりそこの指導者の指導だけでなく、その人間性の影響をかなり強く受けるものだろう。


      

大抵その指導はいわゆる「スパルタ式」が主流で、選手たちの保護者もその点はむしろ望むところであり、強くなってくれるならそれも仕方ない、むしろそうして欲しいと望んでいるのだろう。

と言うのも、私が以前近くの河川敷にあるジョギングコースで、ロードレース用自転車を走らせていた時、河川敷のグラウンドで中学生くらいの女子ソフトボールチームの練習試合をやっていて、休憩がてらよく観戦したものだった。

その際、監督らしき人が、打者にかける声があまりにも酷くて、「そんな球を振る奴があるか!だからお前は馬鹿なんだ!」というような、人格すらけなすような罵声を次々に大声で叫んでいた。

それを聞いていると、こちらの気分が悪くなってくるほどだった。

さらに驚いたことに、そのグラウンドの周りでは、多分選手の父兄や親戚などがたくさん応援していて、罵声を浴びせ続ける監督の声は良く聞こえているはずだった。

つまり、その光景はいつも通りのありふれた試合風景だったようだ。

      

そのスポーツが好きでやっているのだから、選手自身は何ともないのだろうが、あのような上下関係の下で何年も練習していると、ただ服従あるのみの主従関係が出来上がってしまい、自らの頭で判断する感覚が薄れてしまうのではないか。

また、世の中の指導者がみんな人格者であるわけがないし、むしろ一般的な指導者と言われる人は、選手やチームを強くする事が最優先であり、スポーツを人間教育の一環として取り組んでいるわけではないだろう。

      

われわれ日本人は、こうやって公衆の面前で頭を垂れて謝罪すれば、しでかしたことをある程度許してしまう傾向がある。人の噂も七十五日。ふた月半もすれば、記憶の片隅に追いやられてしまい、そしてまた似たような不祥事が起きることになる。

「教育をしてきたつもりだったが、こういうことになって残念・・」だと言う後悔の言葉も、今では決まり文句のようになってしまった感がある。

年齢は大人で、図体は大男でも、頭の中身はまだ小学校低学年レベルだというのが、現実であるのだよ。も一つ言うなら、鍛えすぎたお陰で、脳味噌も筋肉になったんでしょ。