まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春一番 明日の夢を 探そうか

2016年02月14日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで弱い雨の降っている所があった。気温は春のような13度から18度、湿度は82%から72%、風は1mから8mの西南西の風が吹き荒れていた。昨日には四国地方で、今日は関東地方ほかで「春一番」が吹き荒れたようだった。明日の15日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がり、夕方からは雪か雨の降る所があるらしい。

 

 朝方は春のような陽気になったので、「ふきのとう」探しに出かけたが、だんだんと、ふきのとうも姿を消していく。農地は荒れ放題だし、イノシシが掘り返してしまうし、久々に出かけたら、水田がソーラーパネルの広大な発電所に生まれ変わっていたりする。

 

 こんな、かわいいものは残しておくが、来年にはもう、ここには姿を見せないのだろう。

 

 今日は母の祥月命日のお勤めをする・・というので、少しばかり、お仏壇のお掃除とお荘厳(しょうごん)をやっておく。本来の命日は2月19日なのだが、弟たちの都合で、今日になった。

 

 で、今日は香川県立ミュージアムで、「ミュージアム・プレゼンテーション2016」ということで、「香川の歴史研究最前線」というプレゼンがある。時間は13:30から15:00まで。場所は地下の研修室。

 

 で、最初は、大山眞充学芸員による「万葉集の長門浦はどこか」、次に、渋谷啓一先生の「歴史の『ウラ』を探る!!」というもの。三番目に古野徳久学芸員による「水戸徳川家とのゆかりを示す-松藩主松平日内山墓所」について。

 

 その後に、長井博志学芸員による「おもてなしの近代和風建築-彩られたトイレを中心に-」という講演があったが、時間の関係で中座させていただいた。

 

 なかなかに興味深いお話であったが、今日は来客があるので、気持ちはすでにわが家に飛んでしまっていたのは残念なことだった。

 

 帰宅すると、またしてもお内仏の点検・・・。何度、見ても同じなのだけれど、なぜか、気になってしまう。

 

 お花は良いか、お香は良いか・・・。蝋燭は「仮」の白が立っているが、正式には赤の和蝋燭に交換する。

 

 合間をみて、この本も増刷しておく。

 

 今晩の「おとき」の準備。メインは牡蠣フライと湯豆腐らしい。奥方は19時過ぎでないと戻れない。高松市内でのケアマネの研修らしい。

 

 今夜は、弟二人といとこが二人に私の五人でのスタートになる。奥方がもどれば六人ということにはなる。あと、ナマコとか酢の物とかなんちゃかんちゃら・・・。三年目になると、こんなものか・・。

 

 もう、すっかりと梅の花も満開になったころだが、思い出したように、

 

 今日の掲示板はこれ。「未来への希望を失うと、人生は退屈になってしまう」という、ベティ・デイヴィスさんの言葉から。未来に楽しみなことがなければ、日々の生活はつまらなくなる。希望を持って、それを叶えようとするなら、生活全体が明るくなる。この先の人生、楽しみなことがなければ、日々の生活はつまらなくなるだろう。何事も希望を持ってそれを叶えようとすれば、人生は明るくなるのだと、言うているのである。

 

 ベティ・デイヴィスはアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローウェル出身の女優である。本名:ルース・エリザベス・デイヴィス。 尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた、キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優にして、未だに尊敬を集め る特筆すべき重要な存在である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


黄水仙 ねぼけまなこに 沁みる色

2016年02月13日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後からは雨が降っている。気温は9度から18度、湿度は90%から64%、1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の14日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 春を通り超して夏が来たような一日になった。天気予報は雨だったのに、よく晴れたなぁとは思ったのだが、布団を干そう・・という気にはならなかった。布団を干していたら大慌てしたんだろう・・・。

 

 今日は珍しく奥方のけいこばぁが一日、居る日。明日の母の四回忌の準備のためだそうだ。奥方は、明日は、ケアマネの研修で一日不在なので、食事の支度なんぞをやっている。だから、私も今日は出かけられない。

 

 ふと、気がついて、この展示用の和綴じ資料を、もう、一冊、作ってみた。下側の本が本物の本である。本物というのは、両面印刷の正式の和綴じの本である。

 

 一方、こちらは展示用だから、俵札を調査している部分を、カラー印刷してみた。カラー印刷だから少し上等の用紙を使った。これで、見開き二ページ用を二ページ分だけ、印刷した。

 

 ほかのページは印刷ミスとかの廃棄用紙を使っている。これで、展示するページだけがカラーで、本物らしく作ってある。先日の展示用資料の中には、展示ページだけ印刷してあった。その真似をしてみたという訳だ。

 

 で、もう一つの資料の主題論文の中に、データや数値やグラフを挿入していく作業をやっていた。文章だけではうんざりしそうになるので、適宜にグラフや画像を入れるみたいなものだ。

 

 文章や数字の羅列では理解できないことも、画像やデータやグラフだとすぐにわかる筈だし。

 

  ま、こんなものだ。これも、こういうページだけをカラー印刷にして展示できるようにしておく。

 

 お昼からは雨が降り出してきた。と、思う間もなく本降りになってきた。

 

 今日の迷犬ごんの散歩は取りやめだ。犬も犬小屋で雨を嫌って昼寝の最中。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を 得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたと きに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼 きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさ めれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という 教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寒桜 明日の夢は 遠いのか

2016年02月12日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、弱い雨の降っている所があった。気温は1度から14度、湿度は78%から58%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。今日はまさに春のような暖かさだった。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨が降るらしい。

 

 丸亀市綾歌町にある「福成寺」さんに行ってみた。ここの「寒桜」は有名なのだが、今年は少しも花便りが聞こえてこないので、確かめにやってきたという訳。

 

 すると、誰も居ない。平日の金曜日だから・・・という訳でもなさそう。

 

 いつもは、20日前後が満開だったような気がするのだが、今年は少し早いのか・・・。

 

 通りかかったおじいさんが、「一ヶ月も咲いたら、散り出したのぉ~」と、独り言を言いながら歩いて行った。一ヶ月前いうたら、1月の13日やないかい・・。そんなに早くから咲いておったんかいな・・・。そんなことはないと思うけれど、寒桜というだけに早いのは早いのだけれど。

 

  ここは、浄土真宗本願寺派梵音山真興院福成寺と称す。開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、 長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。 諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 例年、ふきのとうを探しに行く綾川町とまんのう町との町境の山に行く途中、久々に、ここのおうどんを食べようか・・と向かったお店は、これ、この通り。報道によれば先日の9日午前9時過ぎ、綾川町のそば店から出火していると消防に通報があり、この火事で木造平屋の店舗兼住宅が全焼。経営者夫婦が火傷を負って病院で治療を受けた。出火当時香川県には強風波浪乾燥の注意報が出されていた。警察と消防が火事の原因を調べている。とのこと。

 

 元は、こんなお店だった。このあたりには食堂もお店もないので、お昼時には満席、行列になるお店だったのに残念なことだった。ご夫婦の一刻も早い全快を念じあげた次第・・・。

 

 肝心のふきのとうは、これ一個だけ。早いのか、遅いのか、そのあたり一面にふきのとうが出る場所なのに、これだけとは・・。一個だけでは仕方がないので、そのままにしてきた。

 

 ふと、見かけたもの・・・。顔の長い動物・・。犬だろうか。下あごが長くてでかかった。でも、頭だけ・・・とは。胴体や手足があれば想像もしやすくなったのに・・・。

 

 帰りに、こんなものを見かけた。高松空港の消防自動車だが、なんで、公道を走っておるのやら。点検か、はたまた、修理か車検か・・・。

 

 木田郡三木町まで戻ったところで、久々のおうどん・・・。「手織りうどん・滝音(たきね)」さん。

 

 しばらくお肉を食べていなかったので、「肉わかうどんの小の温いん」をお願いした。480円だった。舌が老化したのか味がわからん・・・。それに量が少し多めかなぁと感じた。私の胃袋も老化して小さくなったのかも知れない。

 

 そこからさぬき市志度の市立図書館に寄って、借りていた本を返却して、別な本を借りてきた。

 

 どれも新刊書コーナーにあったもの。ただ、思いつきだけで借りたもの。たぶん、読まずに返却するのかも・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日為し得るだけのことに全力を尽くせ。そうすれば明日は一段の進歩があろう。」というアイザック・ニュートンの言葉から。ニュートンはイングランドの自然哲学者(物理学者・数学者・天文学者)。本人は自然哲学を自称したが、後代、近代科学最大の科学者の一人とされ、万有引力の法則を発見したことで知られる。 落ちるリンゴからヒントを得たニュートンは3つの運動法則を発見した。【慣性の法則】 【加速度の法則】【作用・反作用の法則】の三つである。そういう数々の発見を成し遂げたニュートンだが、人にはあまり好かれなかった。特に造幣局長官と下院議員を務め、宗教についての書物を著した晩年は人に疎んじられたという。「大天才」とは言っても、それは科学者としてのことであり、人格までもが大天才ではなかった・・・というお話である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


黄水仙 やることばかりが多すぎる

2016年02月11日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.4度から10度、湿度は82%から56%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。寒くない一日になった。明日の12日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で、昼前から雲が広がる見込みらしい。

 

 さて、昨夜から、私のブログの中から「俵札」に関する記事を抜き出して、不要な部分を切り落として、編集する作業に入っていた。つまり、私の日記帳の中から、納め札に関する情報を抽出して本にする作業をやっている訳である。

 

 つまり、俵札調査の「ドキュメント」をまとめて、資料として展示しようかと考えた訳だ。納め札ばかりを40枚も50枚も並べてもなぁ・・と考えたからだった。会長が、「そんなもん、いらん・・」と言えば仕方ないのだけれど。

 

 9時前になって、奥方が「お買い物に行くよ」と言うので渋々、付いていった。まぁ、運転手と言う訳だ。重い荷物なんぞを運ばせる役目でもあるらしい。

 

 ついでに、自分の会社のお買い物もやっている・・・・。仏壇用のお花とか、灯油とかも買ったりしながら・・・。

 

 午後からは、いよいよ、製本作業・・・。右の片面印刷の原稿を、左のように「両面印刷」にして、前書きやら目次やら、後書きやら奥書やらをそれらしくつけて製本準備。

 

 和紙で表紙を作る。和紙の中にA4用紙を挟むようにして入れて、周囲を折り曲げてのり付けして表紙を二枚作る。

 

 で、印刷をした用紙を挟んで、たこ糸と針で和綴じにして製本する。

 

 「題箋」を印刷して貼り付けて完成・・・。

 

 片面印刷の「原稿」も、カラー表紙をつけて製本して、これも参考資料で展示してもいい。これは奥行きに立てかけてもいいし。

 

 展示用の「銘板」も自作した。なかなかにいいじゃないかと、自画自賛。

 

 調査一覧表やデータを整理したもの、主題論文や集計グラフなどをまとめた「調査集計報告書」も展示資料として用意をした。あと、何があればいいかなぁと思案中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがいっぱいあったのに、やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに、生きられなかった命があります。命いっぱい 生きなければ・・・。」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人 になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐ ずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙は 一つ役目の 荷を下ろす

2016年02月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から11度、湿度は68%から58%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 で、今日もここ、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤。自販機前に立っているのが、ここの「樫原憲司」館長さんである。この方の指導と助言をいただいての作業となるらしい。

 

  前山おへんろ交流サロンは開設して16年になり、昨年秋には入場者数が20万人を超えたとかと聞いた。へんろ資料展示室では、江戸時代の紀行本や古地図や曼荼羅図、また、接待を受けたおへんろさんが残した江戸中期からの納札や納経帳、往来手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。

 

 これが、奥の展示場で、大きな西安の青竜寺の模型の置いて有る部屋。この北側半分を使って、「俵札」の展示が行われる。今日は、その準備のためにやってきたという訳。

 

 ここには、こうした「錦札」や「納経帳」、「紀行集」や手書きの地図などが展示されていたが、これらを全て撤去して展示ケースを大掃除することから始まった。貴重な資料ばかりなので、ゴム手袋を着用してのお仕事になった。

 

 こうした江戸時代の納経帳は貴重なもの、別室の桐のタンスに保存されることになった。

 

 さぬき市の職員さんも慎重に納経帳などの資料を取り出して保管していく。こうした場合、記録写真を撮りながらの作業になる。

 

 で、すっきりとした展示ケースになった。中も掃除機を掛け、乾いたタオルで丁寧に拭き掃除をした。

 

 今日は、こういう展示ケースの中身の移動と掃除片付けで精一杯。中身の展示は来週になった。

 

 この方が、ここの館長さんの樫原先生。

 

 その後に、保存用の桐のタンスに展示品を収納しておしまい。まぁ、記念切手からお守り、「おみえ=御影)集、あと埴輪まで。埴輪(はにわ)は、葛飾から出土した「寅さん埴輪」というものまであった。

 

 葛飾つながりで、寅さんの「男はつらいよ」シリーズの全DVD集や寅さん腹巻きに寅さん煎餅まであるのにはびっくりぽんだった・・・。

 

 こうした、納札俵や納札用の木版刷り板、札挟みなども展示予定。

 

 最後に、展示用の文鎮用アクリル板の厚さ確認をして、今日の作業はおしまいになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「とりあえずやってみて、失敗から学ぶべきだ。私はこのやり方がスキだ。何しろ毎日、新しいことを学べるのだから。」というリチャード・ブランソンの言葉から。失敗を全くしないで先に進むことはできない。目的は前に進んで目標を達成することなのだから、失敗やそこからの学びを一つの過程としてとらえよう。常に挑戦して、前進していくことを考えよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


やるだけは やってみたいとやぶ椿

2016年02月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎにかけて雨の降っている所があった。気温は6度から11度、湿度は69%から50%、風は2mから7mの西南西から北東の風が強くて冷たかった。明日の10日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日の火曜日はルーティーンになっている「俵札調査」の日。三月1日の展示会オープンに向けての最終段階に入った。

 

 展示をする「納め札」の選定と整理中・・・。展示の方法についての検討会で、

 

 私の試作品では少し小さくて寸法がバラバラだから展示がしにくい・・ということになった。で、インデント設定で、MSP明朝太字の12ポイントとセンターは16ポイントに統一することにして、和暦の後に西暦も挿入することになった。これで、100件ほどを全て左の様式を右の形に変更することになった。これが簡単なようで大変な作業で、今夜いっぱい、かかりそう・・・。

 

 ここの展示品収納は明日になるそうで、明日もここでお手伝いの予定。

 

 いわゆるお遍路さんや修行する行者さんを接待した際に受け取った納札を収める俵を「納札俵」という。お接待は遍路や行者の行程を扶助・支援するものであると同時に、各家の厄や災いを託す願いも込められた。また、霊場を巡ったのと同じ利益があるとみることもあった。それ故に、お接待の証左となる納札(納め札=遍路札)は大切にされ、その集められたる俵を家屋の梁に括り、家内安泰を 願った。この俵が稲わら製であることから、五穀豊穣の祈願になるともいう。今回、調査した俵は三点であったが、小さい物は数十年、大きな俵になると百年間を 越える分の納札が収められていた。

 

 この展示会は、さぬき市に残る遍路文化を調査研究し、観光的・歴史的側面から全国に向けて発信する活動を行っているおへんろつかさの会に対し、これまで行ってきた俵札の研究成果を記録し、発表することを通じ て、さぬき市の遍路文化及びお接待文化を象徴する資産を保護し、また全国へ発信することにより、「四国八十八箇所霊場と遍路道」の世界遺産登録に向けた取組の促進及び市の知名度向上を図るため、さぬき市俵札研究事業補助金を受けての事業である。

 

 それだけに、私たちも全力をあげて取り組んでいる。そこで、ああだこうだと言いながら、来週までには、一応の展示を済ませたいと張り切っている。

 

  この、俵札調査研究発表展示会は、三月頭から三ヶ月間を予定している。場所は、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」の奥にある「へんろ資料展示室」。もちろん、入場、見学は自由で無料となっている。

 

 ということで、今夜中に展示資料を作り直して、明日もここに出勤予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力して結果が出ると自信になる。努力せず結果が出ると傲りになる。努力せず結果も出ないと航海が残る。努力して結果が出ないとしても、経験が残る。」というもの。誰の言葉かわからないが、努力だけはしたほうが良さそうだなぁとは思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅咲いて 今日の一歩は暖かい

2016年02月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われ概ね晴れていた。気温は今年初めての氷点下0.2度から10度、湿度は81%から51%、風は0mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雨や雪の降る所があるらしい。

 

 こんないい日にはどこかに出かけたいものだが、いざ行く・・・となると行きたい場所がない。それに、やりかけたお仕事がまだ残っている・・・ということで、天気がいいのにデスクワークになった。

 

 この古文書の読み取り作業・・・。俵札とも納め札とも遍路札とも巡礼札とも呼ばれているもの。これの解読作業。

 

 気の遠くなるような作業だと思ったが、目が慣れてくると平気になった。困るのは古い地名や名前の読み方である。こうしてみると、女性の名前が多い。男性の名前はそれほどでもないが、こんな名前があるのか・・・というものもある。「シヌ」だの「タレ」だの「コツ」だの「タマ」だの・・・と。親もだいたいで名付けたんだろうか・・・。

 

 それを印刷して、小切りにして、ファイルに差し込んでいく。この100枚の中から、60枚とか50枚とかをさらに選んで展示することになる。

 

 こうして、田淵家の天井裏にあった「俵札」2,344枚の中から、遠隔地10枚、さぬき市内から86枚、合計96枚の整理が完了した。

 

 明日の2月9日には、へんろ資料室の奥の部屋の展示品解除が行われる。古い納経帳や紀行文などが倉庫に収納されて展示ケースがからっぽになる。そこに、寒川家、飯田家、田淵家の納め札が展示される予定。私はこれで準備完了だ。

 

 わが家から見ると、これは何をやってる工事なんだろうかと思って居たが、

 

 別方面から見ればこうなっていた。ということは、この手前側を削り取るってことか。

 

 こういう風に斜めに切り取って、カーブをゆるやかにする計画なのか・・・。まだ、わからんけれど。こういうのは、自治会とかに周知するようなもんだと思うのだけれど。

 

 お仕事も一段落したので、午後からはさぬき市南部へドライブに出た。大窪寺周辺に行くと、山陰には昨日の雪が残っていた。道路には雪のかけらもないが、除雪車や融雪剤を撒いたのだろう。

 

 本山での研修も終わったし、四月の下旬までは公的なお仕事は入っていない。その間は、昨年からの研究の課題、「四国遍路の闇と影」の論文整理やら製本作業やらをやって、その後は、この「田淵家俵札調査最終報告書」を作成することにしよう。

 

 その間に、県立病院に入院して「腹水がたまらなくなる方法の調査」もやっていただかなくては・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、 新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしま う。衣類でも図書でも似たようなもので・・・「欲しいものはたくさんあるけれど、必要なものはそう多くない」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雪降りは 遊びにも行けない犬

2016年02月07日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われてくるため概ね晴れていたが、夕方からは寒気の影響で雲が広がってきた。気温は2度から8度、湿度は86%から52%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 朝方の山はうっすらと雪が降ったらしい・・。でも、そんなに冷たい朝ではなかった。

 

 ベランダにもわずかな雪らしいものが・・。でも、犬が大喜びをするような雪ではない。相変わらず、エアコンは冷房モードのままで暖房にはなってくれない。このままだと、夏になると暖房モードになるのかも知れない。かと言って、どうしたら治るんだろうか。エアコンはまだ修理したことがない。

 

 あんまりにも涼しいので、リビングのおこたの上で作業をすることにした。例の「納め札」の現代語訳文作成である。資料館にそのまま展示をしても筆文字が読めない人がいるので、読みやすいように活字に訳す作業である。

 

 これまでは、年号と住所、氏名などをエクセルシートに集計してきたのだけれど、その中から86点を抽出した。さぬき市内の年号や住所氏名がはっきりとわかるものを選んだ訳だ。その選んだ物を、書いてある通りに訳していく訳だ。この中央の「奉納小豆嶋八拾八箇所霊場順拝同行貳人」などと活字にしていく作業である。

 

 目的が決まっているし、用途も決まっているので、パターンというものが見えてくると、「あ、この字はこういうことか・・・」と理解できるようになってくる。ま、読めないものは仕方がないが。

 

 で、こうして訳文をつけていくのである。

 

 こうして、午前中で43件分が処理できた。あと、半分になってきた。

 

 昼からは、奥方が買い物に行こうと言う。今度の日曜日に、母の四回忌のお勤めをするので、その後の「おとき用」。そういうことで、兄弟3人といとこ1人の四人だけ。奥方はまたしてもケアマネの研修会。男ばかり4人が酒盛りしても楽しくはないと思うがいかがなものか。

 

 さて、ときどき、ここで紹介しているのだが、「住宅顕信」の今日はお命日。1987年2月7日、住宅顕信(すみたくけんしん)という俳人がひっそりこの世を去った。享年25歳。浄土真宗本願寺派の僧侶だった。10代はリーゼントにサング ラス、16歳で年上の女性と同棲。22歳出家得度、以後、結婚、白血病の発病、離婚、病室での育児に句作と、普通の人の何倍かの早さと勢いで人生を駆け抜 けた。そんな男の肖像と、ひりひり心ふるわす俳句の詰まった1冊が「住宅顕信読本」。サブタイトルの「若さとはこんな淋しい春なのか」は、彼の句である。

 

 1982年、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺において得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名乗った。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」にちなみ、無量寿庵と名付けた。1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てた。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになった。特に尾崎放哉に心酔した。

 

 故郷岡山の旭川沿いに建てられた顕信の自由律俳句「水滴の ひとつひとつが 笑っている顔だ」というもの。放哉の句をにじませるようなことばを紡いでいる。

 

 私たちは「納得をして生まれてきた訳ではなかったけれど、無駄なことではなかった」と信じたい。そして、「満足をして死んでいくのでもないけれど、空しくはなかった」と信じたい。住宅顕信という俳人の命日に「南無阿弥陀仏」を称えさせていただいたこともありがたいことだと感謝をしたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬからこそ 本当に生きる道を開く」というもの。金子大栄先生の言葉だと記憶している。生まれたいと思った覚えもないのに、生まれていた。年を取りたいと思っていなくても、年を取る。病気になりたいと思っていないのに、病気になる。そして、死にたいと思っていなくても、死んでいくのである。全ては、与えられたものなのだ。とすれば、人生の本当の味わいというのは、人生が与えてくれることを「ご縁」として、謙虚に受け止め、受け入れるところに感じられるものではないだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙を 摘んで供えた 墓がある

2016年02月06日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっていた。気温は3度から10度、湿度は80%から54%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の7日は、次第に高気圧に覆わるが、はじめ寒気の影響で雲が広がりやすく、雪や雨が降り雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 ふと目が覚めたら5時半だった。どうしようかなぁと思ったが、折角だから・・ということで、お隣の本願寺さんの「晨朝(じんじょう)」のお勤めに出ることにした。今どきの朝の5時半というと、まだまだ真っ暗・・・。

 

 おあさじ(朝のおつとめ)ともいうが、朝早くから大勢のお参りの人が・・・。それにしても、出仕している大勢のお坊さん達も大変だなぁと思うことだった。4時起きくらいになるのだろうか・・。このお参りの方々は、自分の「マイ経典」をお持ちなのである。

 

 朝のお勤めが終わると、近くのコンビニで100円ほどのパンと120円ほどのコーヒー牛乳を買って朝食。今日はもう、帰るだけで、何の予定もない。

 

 コンビニから見た、宿坊の「興正会館」。この二階に泊めていただいた。今日からは「華園学院」という教育生のスクーリングがあるのだそうだ。その案内が部屋ごとに張ってあった。

 

 本来ならば、興正寺の「ご晨朝」にも出なければならないのだけれど、バスの切符が買えるかどうかが気になって、早々に部屋を片付けて帰る支度をした。こんな朝早くからでは銀行も郵便局も開いてはいない。何も用事がないのであれば、ゆっくりとして、ご晨朝に出て、銀行が開いてからにしようかとも考えたけれど、それでは、今度はバスが夕方にならないと出ないのだ。

 

 本願寺の獅子さんにもお別れを告げて・・・。

 

 そこで、京都駅前のバスターミルでバスのチケットを買った。なんとか、チケットも買うことができた。

 

 残った残金はこれだけ・・・。41円。お茶も買えないじゃないか。

 

 でも、なんとかなったじゃないか。いつもはお土産のお漬け物を買うのだけれど、今回はそれはなし・・。だって、お店が開いていなかったんだから・・・という言い訳。財布を忘れたなんていうことは秘密の秘密。

 

 どうにかバスの座席を確保したら、これで問題解決。無事にバス・ストップに下りられたら笑い話で済まされそう。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 待っていないから何でも持てる」という、城たいがさんの言葉から。「じょー・たいが」と読む。見ているだけで、楽しく元気になれる笑文字(えもじ)の詩画書作家。ユニークな笑顔のお地蔵さんなど、造形作家でもある。人間の根源の愛と笑顔への回帰を訴え、描く詩画書は多くの賛同者を得ている。 宮崎県出身、京都を拠点とし制作活動中。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 今日の日記を 書き終える

2016年02月05日 | たまには旅など・・。

 今日の京都市は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、北部では断続的に雪や雨が降っていたらしい。気温は2度から10度、湿度は86%から54%、風は1mから3mの北西の風が冷たかった。

 

 久々に京都の本山へ出かけることになった。お勉強といえばお勉強、試験と言えば試験。一枚の通知書だけで、どういうことなのか事情がわからぬままに出かけたもの。16時に集合して着替えをして16時半に研修室に入れ・・・というようなもの。当日の予定も日程も宿泊も不明・・・。

 

 淡路島に入ってすぐに、財布がないことに気が付いた。普段は財布など持たないし、持っていれば使うし・・・ということで、小銭入れしか持ち歩かない。しかし、今回は京の都まで行くのだから小銭だけでは心細い。しかしのかかし、ここまで来て気付いても、もう遅い。

 

 茄子がママならキュウリがパパよ。ありのままならバッタがパパよ。なるようになるさの成り行き任せ。困った時にはカードがあるさ。

 

 リニューアルした東本願寺さんの境内で、コンビニで買った98円のパンに121円のコーヒー牛乳でお昼。なにせ、12時過ぎに京都駅に着くもので、どこもかしこも食べ物やさんはいっぱい。並んでまでは食べる習慣がない。ふと、横を見たら、「境内での飲食はいけません」との張り紙が・・・。道理で警備員がにらみつけていると思った。食べてしまったら仕方がない。

 

 ぶらぶらと歩いて本願寺さんへ。ここにFacebookにユニークな投稿をしている「しんぽー」さん(仮名)がいる。名刺をいただいてわかったが「新報さん」らしい。道理で脚立や腕章やカメラを持っている訳か。

 

 で、思いがけなくお土産までいただいた。お返しは6月にでも・・。讃岐だから「うどん脳くん」でも・・。

 

 少し早いが本山に到着。時計をみれば14時前。2時間もあるな。

 

 境内の紅梅が満開。外国からのお客様がスマホで自撮りをやっている。それもたくさんの女性たちが。

 

 ここまでやって来たのだが、ここで、いったい、何をするのか、何時までやるのか、誰が集まるのか、全くわからない。たまたま出会った人に聞いても、何も知らない・・という。宗務所へ行っても、担当者は忙しそうにしているだけ・・。

 

 仕方がないので、梅を眺めているだけ・・・。そうそう、山門で、何人の方が挨拶をして出入りするかを勘定してみた。東本願寺さんでは50人中3人。本願寺(西本願寺)さんでは50人中6人、興正寺では50人中1人。案外と頭を下げて山門に入り、頭を下げて山門を出る人は少ない。観光客がほとんどなのかも知れない。お念仏の道場なのだから、きちんとご挨拶はしていただきたいもの。

 

 今回の研修は二人だけ。その一人は用事があるからと帰ってしまい、困った私は担当の方に宿坊に泊めていただいた。そこでさみしくテレビ相手の部屋呑みしておやすみすることになった。

 

 本当はこれだけではないのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の数だけ鬼はいます。いえ、それだけ仏さまもおられるのです」という塩見行雄さんのことばから。「渡る世間は鬼ばかり」は実感するけれど、そんなに仏さまがいるとは思えないけれど、家族にとってみれば、やさしい仏様なのかなぁとは思ってもみたり。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


やぶ椿 この一日が 永すぎる

2016年02月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2度から11度、湿度は91%から62%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の5日は、はじめ気圧の谷の影響で雲が広がるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 先日、ヤッホさんこと菱村はんが、「スニーカーやのうてズックやろ・・」と言うていたが、ドレミファソラシドの「」が付く「いなか」では、そんなええものはなかった。

 

 小学生の頃は黒い足袋にわらぞうりかゴムアサかゲタか。上級生になると「運動靴」だった。わら草履は自分で作るのが当たり前だった。雨の日はゲタだった。ゴムアサは裏側にタイヤを張ってあった。こどもたちは「アサブラ」となまって呼んでいた。

 

 会社に入って、作業用として、この「ゴムあさ」が支給されたのにはびっくりぽんやった。このほうが電線の上を歩くのに安全だということだったが、それこそ、不安全労働行為だったように思う。でも、先輩達は幼稚園児のかぶるような帽子に、このゴムあさで電線の上を歩き回っていた。

 

 ヤッホさんのいう「ズック」というのは、こういうものだろうと思うが、上級生かお金持ちはこんなクツを履いていたが、「運動靴」と呼んでいた。教室では「うわぐつ」と呼んでいた。

 

 ズックと呼んでいたのは東北と北陸の一部らしい。讃岐ではやっぱり「うわぐつ」だった。

 

 これはスニーカーというもので、ズックとは似てもいないし、まるきり別物。ズックはドイツ語で、スニーカーは英語らしい。

 

 さて、私のブログの検索項目だが、毎日、上位には「袈裟」に関する項目が多い。「輪袈裟のかけ方」とか「輪袈裟のたたみ方」を調べたい人が多いのだが、あんなもの、首に掛ければ済むことだし、お作法があるのじゃろうか。また、たたむ・・・というても、二つ折りにすれば済むこと。五条袈裟ならまだしも、輪袈裟のたたみ方と言われても・・・。

 

 で、参考資料を調べていたら・・・、こんな写真が・・・。うしろの背景は書き割り。写真屋さんでの記念写真だろうか、土産用の絵ハガキだろうか・・。

 

 こちらは立派なお袈裟で托鉢ですか・・・。それはないでしょう・・・みたいなお坊さん。

 

 これは罪人と首切り役人らしいが、背景は書き割りで土産用の写真らしいが、こんな写真を土産物として買って帰る人がいたんだろうか・・・。

 

 これは「ハラキリ」で切腹シーンだが、あきらかな演出写真。写真だから真実だ・・というのは大きな誤り。古文書に書いてあってもそれが正しいとは限らない。古文書などは時の権力者や時の政権に都合良く書いてあるもの。新聞に書いてあった、テレビでいうていたから眞實とは限らない。

 

 ところで、今日は「立春」である。厳密には、今日から次の節気の「雨水」までの期間を「立春」というらしい。で、この日には、たまごが立つ・・・というのである。一年のうち、立春の日に限っては卵を立たせることが出来る、というもので、終戦から間もない1947年、日本の新聞各紙が取り上げて、大きな話題になった。それを読んだ物理学者の中谷宇吉郎は、自分でもやってみた。結論は、「いつでも立つじゃん!」、である。その経緯と考察は、彼の「立春の卵」という随筆になっている。「慎重にやれば、誰でも出来る」という話なのでやってみた。

 

 でも、何度やってもタマゴは立たなかった。中谷センセは、タマゴには小さな突起、デコボコがあって、その突起の三点でタマゴは立つ・・・と書いてあるが、わが家のタマゴは10個全てがツルツルで突起がまるでないので支持できないのである。平成のたまごは工場で作られていて、まるきりのツルツルすべすべなので立たないのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合の悪いことを様々な鬼に仕立て上げる私」「あれは、誰だれさんのせいだ・・」、「あれは、Bさんがやれというからやったまでだ」、「あのことは、Cさんが勧めたからこうなったんだ・・」と、自分の都合の悪さを他人様に転嫁していくことが多い私たち。私の心がたくさんの鬼を作り出しているという現実・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙は 泣く場所もなく 立ち尽くす

2016年02月03日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、ときおり気圧の谷や寒気の影響で雲が広がってきたりもした。気温は3度から9度、湿度は86%から58%、風は1mの北北東から西の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 仕事部屋のエアコンは寒いと動作しないのか暖房にならない。そこで、リビングで暖かくなるまで、納め札の「訳文」を作ってみた。

 

 小学生の頃から「漢文」や「古文」も「習字」も苦手なほうだった。まさに「六十の手習い」正確には「六十七の手習い」で、見よう見まねでやっているが、なかなかにしんどい作業である。

 

 特に、こういう筆文字やくずし字はさっぱりである。

 

 10時になったから、さぬき市立志度図書館にやって来た。先週に借りた本はスキャナーで読み込んだし、興味のないところは割愛したし。

 

 これまでは、こういう図書館は小馬鹿にして、県立図書館ばかりを利用してきたのだが、ここにはここなりの目線の違った本があって、それなりに「へぇ・・・」というような本がある。

 

 で、今日は、こういう本を選んできた。で、この「NHK気になることば」という本が気に入った。だから、早速にamazon.comで中古本を探したら、またしても「1円」という本が見つかった。1円で商売になるのかしらん。

 

 「へぇ・・・、そういうことだったんだ・・・」というような言葉がいっぱい。知って使っているつもりだったけど、そういう意味じゃなかったのか・・・みたいなこともいっぱい。「豆腐の一丁とパンツの一丁は同じか同じでないのか」、「一頭と一匹はどうやって分けるのか」みたいな・・・。

 

 こういう本も楽しいかなぁと思ったが、案外と楽しくなかった。ま、気に入ったものは記録に残しておいた。たとえば・・・

 

 これは「咸臨丸」らしい。なんか、イメージが違うんだけれど・・。

 

 これは、オランダへ留学した「山下岩吉」さんらしい。まぁ、こういうものは、私のパソコンの「倉庫」に保管しておくことにする。

 

 これも、わくわくしながらページをめくったけれど、収穫はなし。幕末~明治初期って、なんか、雑然としている感じ。武士も武士らしくない。映画やテレビドラマの影響なんだろうか。あんなにはカッコよくないんだな。

 

 午後からも、納め札の「訳文」を作っていた。

 

 暦の上では、今日までで冬はおしまい。明日からは「春」になるらしいが、自然はそんなにはっきりと切り替えはできない。私たちはカレンダーを破り捨てたらおしまいなんだけれど、季節は簡単には移り変われない。テレビやラジオでは、「節分」だ、「豆まき」だ、「恵方巻き」だと騒がしいが、田舎の一軒家には何の変化も何の影響もない。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼も福も腹の内」というもの。京都府福知山市三和町の大原神社は「鬼は内、福は外」 、千葉県成田市の成田山新勝寺は「福は内」、奈良県の蔵王寺は「福は内、鬼も内」、岐阜県可児郡御嵩町の鬼岩福鬼まつりでは「鬼は内」、埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社では「福は内、鬼は内、悪魔は外」などと、豆まきの言葉はさまざまだが、そういうことではなくて、鬼も福もともに、この私の腹の中にある・・・ということ。善も悪も、地獄も極楽も、ともに、この私の胸の内にあるということ。追い出しても追い出しても、こころの鬼はまた、生まれ出てくるものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


どっぷりと その日その日の 寒ツバキ

2016年02月02日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっていた。気温は4度から8度どまり、湿度は84%から69%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の3日も、気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 恒例の火曜日はここ。さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」での「俵札調査」の日。

 

 おへんろ交流サロンは、お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場になっていて、交流サロン内にある「へんろ資料展示室」には、江戸時代の紀行本や古地図、また接待を受けたお遍路が残した江戸中期からの納札や古い納経帳、手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。

 

 今日は、遍路資料館へ、私たちの調べた「納め札=納札」を、どのようにして展示するかについての打合せ会。業者さん達との技術的な打合せを行った。

 

 この展示ケースが三列あるが、その一つずつに、「田淵家」、「飯田家」、「寒川家」と展示することになった。この展示は3月初めから三ヶ月間の予定。今まで展示してある資料は、来週の9日に撤去される予定。その後に、私たちの「納め札」を並べて展示する。

 

 私たちは、展示する納め札の選別・抽出と、これの「訳文」を作成しなければならない。このままを展示しても、これをすらすらと読める人は居ない。だから、小さい短冊に、これを現代文の「訳文」にして、添える形で展示をする。

 

 今日はまだ、選別・抽出の段階。私は抽出が終わったので「訳文」の作成に入る予定。

 

 メンバーは渡邊会長、柿木副会長、松原会計担当、顧問の藤井先生と、男性調査員3名、女性調査員3名の10名程度、撮影担当の多田先生や別所理事さんが加わることもある。

 

 展示方法は、こういう具合に、和紙を敷いて、その上に納め札を並べ、アクリル板を乗せてボルト締めする方法と、アクリル板透明文鎮での押さえ方式とにすることになった。

 

 で、今日は珍しい方がお見えになった。俵札を提供してくださった「飯田農園」の飯田さんである。

 

 で、飯田農園さんで販売している「本物アイス」を差し入れてくださったのである。

 

 もし、お問い合わせがあれば、以下のURLへどうぞ。

http://ew.sanuki.ne.jp/momoya/

 

 今日の掲示板はこれ。「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」という曽我量深先生のことばからである。「鬼」という言葉には、「仕事の鬼」というようなひとつの道に邁進する人を表わす時もあるけれど、心の冷たい人、情け容赦のない人、恐ろしい人・・・といった意味を指している場合が多い。自分に危害を加えてくるような相手、願いや希望を摘み取ってゆくような相手、そんな人に対して「あの人は鬼だ!」と思うものだ。そんな時はその相手がいかに冷酷で残忍な言動をとったかということばかりをあげつらい、憎み、ののしるのが普通だろう。しかしそれがそのまま私も相手と同じ鬼になっているというのである。自分にとって不利益な相手を「鬼」と断定した途端、私はその人を「人」と見なしていないのだ。だから、その不利益な相手を「退治」し「成敗」しても良いこととしてしまう。そう思った瞬間に心の行いとしての(意業)では、私は恐ろしい形相でその相手を八つ裂きにしてしまうのだ。もうそれは「鬼」そのものに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


如月は 人の数だけ 鬼がいる

2016年02月01日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は4度から10度、湿度は80%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかりと、昨日と同じような天候だった。明日の2日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、昼前まで雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 2月1日は福井、永平寺の「涅槃会大摂心」が始まり、7日までだという。これは1週間の愛だ、ほとんど眠らずに昼夜にわたる座禅を行う物。釈尊が菩提樹の下で1週間座禅をして悟りを開いたことに因むものだという。厳寒の北陸での座禅は厳しそう。

 

 朝方は例の「俵札調査」の論文作成。期限のないお仕事はなんだか力が入らない。締め切りとか期限付きでないとパワーが出ないというもの。

 

 こういう本を開いたり閉じたりするのだが、ちっともひらめくものがない。そこで「山寺」をのぞいてくることにした。

 

 ところが山寺の空気は冷たい・・・。じっとしていられないほどの底冷えがする。鼻の奥がツンツンとするほどに痛い。

 

 境内ではお遍路さんが記念撮影をしているのだが、どうにも私のカメラが気になるようで、記念撮影ができないらしい。そこでお大師堂のほうに隠れてあげて、なんとか撮影完了。昔ならば、こうした記念写真は後日、添乗員さんなり先達さんなりに送られるのだが、今は「10分ほどで出来るので、門前でお茶でも飲んでいてくださいな」という時代になった。こうしたカメラマンさんもデジタル・プリントして、即、代金が入る時代になったんだ。まさに「一期一会」であるなぁと思ったことだった。

 

 本堂の前やお大師堂前にも、こんな看板が立っていた。余りにも冷たいので、取材にもならないので早々に退散することにした。

 

 大窪寺周辺には、まだ、雪が少しばかり残っていて、足下のスニーカーから水がしみこんできた。そろそろ買い換え時だなぁと思っていたので、帰りのお店でスニーカーを買った。

 

 帰って靴を脱いだら・・・「あれっ!」と思った。

 

 「Kappa」(カッパ)だと思って買ったのに、

 

 箱を確認しても、「Kaepa(ケーパ)」になっている。で、Googleで調べてみたら、「Kappa(カッパ)」は、イタリアのスポーツシューズブランド。「Kaepa(ケイパ)はアメリカのジャージなどのスポーツブランドらしい。

 

 そういや、このマークが「カッパ」なんだが、カッパていうと・・・

 

 どうにも、木久扇さんのこれを思い出す・・・。

 

 午後からも、眠たい頭でお勉強・・・。

 

 二月になったら、鬼のお話ばかりになるが、今日の掲示板はこれ。「ぬけぬけと「鬼は外」とは笑止なり」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。調べてみれば、この句は、ある同人誌に投稿された俳句であるらしい。節分の行事は、お寺でも神社でも行われているが、神社では「追儺(ついな)」という行事からの変化らしいが、お寺の節分はそれなりの独自の意義と作法のある法要になる。そんな難しい節分の意義を、一言で表す法語がこれだが、別のお寺では、「ぬけぬけと 「鬼は外」とは その口で」という句を見かけた。上五・中七は同じだが、「その口で」というのが鮮やかなぁと思ったことだった。節分という季節の変わり目を機会に、この口を、このこころをリセット・再起動せよというているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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