まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

こおろぎは 世のあれこれを 聞き流す

2015年09月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で昼過ぎから雲が広がり、雨や雷雨の所があるらしい。気温は22度から27度、湿度は94%から72%、降雨量は0mm/h、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の3日は、前線や上空の寒気の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 例の「まち歩き」のリハーサルが、今週の土曜日に迫ってきた。こころの準備はできているのだけれども、ペーパーとかの準備は皆目である。どういう資料を何部用意するかもわからないし、どんな形式で資料を作ればいいのかも浮かんでこないのだし・・・。

 

 まずは「現地に行こう」「現物にさわろう」である。

 

 こういう画像がでてきたものだから、今日は、この実物を探しに行こうと決めた。朝方は秋のようなさわやかな天候だったし、暑くもないし、寒くもないし・・・と。でも、お墓って言ってもなぁ・・と、やや不安。田舎は自分んちの屋敷や畑の中にお墓を作ることがあるし・・・。

 

 でも、そんな心配はいらなかった。要所・要所に、こういう案内標識が立てられていた。「顕彰会」というグループが、こんな看板を立ててくれているのである。

 

 青い矢印は、博士が子供のころに通った小学校の位置。お墓は自宅とは少し離れた「熊高山」の中腹、赤い矢印の場所にある。生家は、赤い矢印の下(出発点)あたり。

 

 細い山道を、クモの巣を払いながら登っていくと、幾つかのお墓が見えてくる。この地区の墓地らしいが、数はそんなには多くない。その中ほどに、このお墓があった。

 

 このあたりでは珍しい「院殿号」のついた立派な法号である。詳しくメモしようと思ったが、ものすごい「藪蚊」の襲来を受けて早々に退却した。雨のあとでもあったせいか、藪蚊独特の羽音と顔面にぶつかってくる小さな物体にはお手上げだった。こんなところにもあったのか、「院殿大居士」号が・・・。

 

 真島家の墓域はこういう形式になっていて、お墓は東面している。

 

 これが「神前(かんざき)小学校」で、ここに胸像とか顕彰碑とかが建てられているが、二学期が始まっていたので、中には入れなかった。

 

 その足で、東かがわ市にある「手袋資料館」に寄ってみた。真嶋博士の次は、この地の手袋産業の始祖、「棚次辰吉」氏である。その手掛かりを求めてやってきたというわけ。

 

 これが、その棚次辰吉さんである。明治7年の生まれで、生家は貧しい農家だった。小学校にも行かせてもらえず、檀那寺である教蓮寺という真宗のお寺の奉公に出た。その後、いとこの「両児舜礼」に誘われて大阪に出てメリヤス業に就いた。こうして、彼の作ったミシンを使って「手袋」が作られるようになった。

 

 ま、その手袋の話はずっと先のことになるので、今日はここまで。とにかく、今日は、概略の把握と、これからの作戦の立案のための下調べ・・・というところ。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸には不幸の原因があり 幸福には幸福の原因がある どちらの原因も自分がつくる」という「城たいが」さんのことばから。そもそも、幸福も不幸も、自分のこころのなかの問題なのであるから、自分自身の問題ではある。ただ、私たちはマイナス思考の名人だから、不幸ばかりを追い かけている。新聞もテレビも不幸ばかりをやっていて、それを見て、みんなは安心している。幸福になると、みんなから嫉まれるし嫌われるから、しんどいけれどと、みんな不幸になっている。忙しい・・貧しい・・・苦しい・・・と言い続けて暮らしているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。



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