まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山萱草一つ二つや濡れ佛

2020年07月11日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、午後からは雨が降ってきた。また、夜のはじめ頃には激しく降る所がある見込みらしい。気温は23.5度から27度、湿度は76%から92%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、朝まで雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 90/57/79 36.2c-94% 58.9Kg 25c-82%-1002hPa 朝から雨である。ようやくに梅雨らしい毎日になった。しかしのかかし、蒸し蒸しとはするけれど、ジメジメ感はない。うっとおしい雨だとも思わない。

 

 今朝の朝食である。今日はカフェオレの代わりにワカメスープにマスカットだかのぶどうが並んでいた。今日もお絵かきはない。

 

 さてだ、私が探してきた「馬ブドウ」であるが、昨夜、奥方が帰り道で見つけたとかで、馬ブドウを持って帰って騒動になった。

 

 これが奥方が持って帰った「馬ブドウ」だが、

 

 私が探してきたのは葉っぱが違うというのだ。確かに、上の写真と見比べると、葉っぱの形が違うのだが、そこについている「実」は同じようなもの。それに、これには、「ウマブドウ」と添え書きがしてある。だから、私の方が正しいと言うのだが、奥方は葉っぱが違うでしょという一点張り。で、私の探してきた物は捨てられてしまった。これがウマブドウだと書いてあるのに・・・。

 

 それはさておいて、今日も油彩画に筆入れをやっていた。初日に色を置いただけのものを乾燥させておいたのだが、それに細部の書き込みや色彩の調整なんぞをやっていた訳だ。

 

 これが一昨日のもの。大まかなイメージで色を置いてみた。

 

 今日は湿気が多いせいか絵の具がうまく乗らない。絵の具が滲(にじ)んだり、流れたりする。(子供の頃は、『じゅじゅむがぁ~』とかと言っていたように思う)だから、今日の作業はここまで。補足:「よっけ絵の具をつけよったらじゅじゅむで。」(たくさん絵の具をつけすぎたらにじむよ。)

 

 今日は肌寒いほどだから、温い(ぬくい)「特製天ぷらうどんの小のぬくいん」を作ってみた。油揚げが入っているので、「特製天ぷらキツネうどん」でも良かったかしらん。それに野菜サラダ付きである。

 

 私はネズミ歳なのだが、おばあちゃんっ子だったせいもあって、極端な「ネコ舌」で熱い物は大の苦手なのだ。しかしのかかし、動物のネコは毛嫌いするほどのネコ嫌いでもある。

 

 お昼からは突然に雨が降り出して、洗濯物を取り込んだり、窓を閉めたり、

 

 そうそう、天日干しをしていた「馬ブドウ」を大慌てで室内へ取り込んだりもした。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲や怒りの雨あられ そんな私であるけれど 南無阿弥陀仏の傘の中」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。自分が一番かわいいという因縁によって、患い、悩み、苦しむ(結果)のが私たちではないだろうか。自分に対する執着心を我執といい、我執こそが患い、悩み、苦しみの原因なのである。この我執が外の世界に関わる時、自分に都合よいものは、我がものにしようと欲となり、その欲が満たされない時には怒りとなるのである。私たちは、お浄土を願いながら、お念仏することはない。そんな私共に沿いたいと願われて、声の仏となられ、私の口に届き、私の口と声を借りて、『南無阿弥陀仏』と出て下さり、私の耳に届いて下さっているのである。『南無阿弥陀仏』は、「我に任せよ、そのまま救う」という意味である。そのままとは、欲や怒りを持ったまんまの意味である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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