まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

菜の花に しぐれる明日が ついてくる

2018年02月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 奥方との記憶違いの一日である。奥方は私が29日に目覚めた・・・というているが、今年は28日しかない。だって、今年はオリンピックをやってるんじゃないの・・とかと言うけれど、とにかく今年は28日しかない。

 

 この日も私は全く記憶にない。奥方と、すぐ下の弟が昏睡状態から覚めたことを知ってやってきたらしいが、私が少し目を開けただけで、またも眠ってしまったので、すぐに二人は帰ったとか・・・。ともかく、大きな命の峠を越えたということらしい。

 

 人生には三つの坂がある。一つは上り坂、もう一つは下り坂、そして、もう一つこそが「まさかのま坂」であるという。

 

 これも病院で小耳に挟んだおはなし。おじさんは「写真にかけてはプロ級」だと評判の主らしい。おじさんには身寄りもなく家庭もないため、施設に入って共同住宅に住んでいて、若い頃からのカメラの腕を自慢し、施設のイベントや集合写真などを写しては掲示するのだった。 

 

 それがまた、プロ級の写真で、個人のポートレートなどは特に評判が良かったのだという。

 

 ところがである。いつものように三脚を開き、カメラをセットして、何枚も何枚も取った写真が全て真っ黒けになってしまった・・・。

 

 おじさんには自覚症状がない。眼を痛めたとか見づらくなったとかもないし、転んだこともぶつかったこともない。

 

 「あれも、りこげ(偉そう)に言よるけんど、やっぱり、年には勝てんのぉぉ・・」などという仲間内の声が「閻魔さま」に冷水を浴びせらたかのように身もだえしてふさぎ込んだ。

 

 おじさんに、日常的にも生活的にも宗教上においても何ら問題がないことがわかってきた。

 

 それを調べたドクターは、こう、言ったそうだ。「数ある血管の中の1本に血栓が詰まったんです。それで、そうなってしまったんです」と。

 

 人間は1本だけの血管が詰まったくらいでは死なないと聞いた。けれどけれど、精一杯に生き抜いている大事な大事な1本の血管が詰まった時、私は私でいられるのだろうか。私が私として生きていけるのだろうかと考えていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の世はあせらず あわてず あきらめず」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。気になって調べてみたら「読み人知らず」の格言であった。「あせる → 焦る」は、焦=鳥が焼けこげついているさま。「あわてる → 慌てる」は、慌=心が荒れて落ち着かないさま。ということで・・・、慌てるということは、心が死んで機能していない状態と同じこと。何事も落ち着いて深呼吸してゆったり、そしてどっしりのんびりじっくりと取り組んでいけたらいいのだけれど。そして最後はあきらめないで・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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