深*龍宮の使いのブログ

色々なことを書いていきたいと思います、よろしくお願いします。

人を殺す事と、人を殺すイメージの違いについて、

2006-08-28 12:02:53 | 社会
    どうもこんにちは


  三週間ぶりですが、何かまた休んでいる間に、色々あったようですね、私がきな臭いやつだなと思っていた、安部も出てきたようで、この国も最終段階に入ってきたなと思います。 私の調べた限りだと、この安部という人は、たぶん昔の軍部の残党の中心にいる人物、そのあたりのような気がします、この人の祖父の岸氏は、満州にいて莫大な資産を持っていたらしい、もちろんそれは国民から盗んだ金ですが、そうしてもうひとつのポイントが、この岸氏と、戦時中、国民をプロパガンダでだましていた軍部の人間は、アメリカにとって利用価値があると思われたため、処刑にはならなかった、そして岸氏のいた満州の関東軍は、戦争末期に日本人を見捨てて逃げている。


  この点を総合的に見ると、この岸氏と当時の軍部の残党は、莫大な資金と組織を持ったまま今現在でも、まだいる可能性がある、たぶん右翼とか言われる組織は、この辺りに関係があるような気がする、そして私の読みなのだが、この岸氏という人物は、昔731部隊という、中国人を使った人体実験をしていた組織と、かなり近いところにいたらしい、そしてこの731部隊の人々は戦後、情報提供の見返りに米軍に恩遇されていたようだ。 そしてその可能性を岸氏のような明敏な人物が見逃していたとは思えない、多分だがここからは私の想像なのだが、岸氏は日本政府を戦時中に裏切っていたのではないか?、つまり、アメリカとつながっていたのではないか?、そして戦後の日本支配のためにアメリカが用意していた駒であり、組織や資産を残し、アメリカによる日本支配が揺らがぬよう、備えとして残しておいた、そしてその時が来て、その備えが動き出した、そんな風にも見えなくはない。 こう考えてみるとなぜか今起きているもろもろのことは、ピッタリと話が合う、これが偶然であることをいのりますが、さて、もしやこの国の終わりが来てしまったのではないか?、そんな気がしてならないです。



  さてそれはよくて、今日は、人を殺す事と、人を殺すイメージの違いについて、ということでも、物騒なタイトルですが、言っていることはそうでもなくて、たとえば、ゆけむり何とか殺人事件とか、結構たくさん、そういうドラマとかありますよね、人が死ぬとか殺すとかそういうことをえがいたものが、多くの人々の興味を引くわけです。 しかし、実際として人を殺したり、人が死んだりするということは、イメージとは違って、かなり嫌なものでしょう、つまりイメージ上では非常にいいものなのに、実態としては最悪、そういうものが人を殺すという行為、もしくは人の死なのだと思います。


  私がなぜこういうことを考えたかというと、最近の劇場型政治を見ていて、このことと同じことが起きているなと思って、たとえば小泉氏は、この人の行動や状況をトレースしてみてみると、常に最終形がない、つまり最終的な意味がほぼない、それが常であるが、その最終形までは意味があり、ある程度はあっている、そしてその途中までは結構気分のいい感じを与えるところがある。 この形は上で書いた、人を殺す事と、殺すイメージの違いに似ている、多分だか小泉氏のやっていることは、犯罪行為なのだと思う、人を殺すまで行かないが、何かを盗む、何かを壊す、そういう犯罪行為に対する渇望、それをくすぐっているのだろう、まあ、私の見たところ小泉氏はどう考えても犯罪者的人間であり、それしかできなかったともいえますが。


  そしてまあ、そういう犯罪者的行為というものがなぜ成り立つがというと、それが劇場型政治だから、といえると思います、つまり犯罪を実際にすると色々問題が起きますよね、しかしイメージ的には、犯罪というものは欲望としてはある、その間をつなぐのが劇場型という方法で、テレビのブラウン管を通してみることにより、それが実際のことではなく、ただのイメージとして認識されてしまう、つまり犯罪に対する欲望を満たすが、それが実際にはおきていないように見える、その錯覚が小泉人気だったと私は思います。


  劇場型政治とはこのような、大きな錯覚、間違いを生みます、例えば小泉氏が何かを騒ぐごとに、誰かか不幸になり、誰かが死ぬのです、しかしブラウン管を通してみる限り、それを誰も知ることはないのです。 そして、その劇場型政治は、次の段階に入り、多分次にくるのが、人を殺す事と、人を殺すことのイメージの違いを利用した行為になるでしょう、ついにこの国も来るとこまで来たかなと思います、場合によっては政治家の処刑も考えねばならない、そういう難儀な時代が来てしまったかなと思います、なぜそうなってきたかというと、人を殺すこと、人を殺すイメージの錯覚というものがあるのならば、それを解決するためには、それを引っくり返すしかないからです、引っくり返すということは?、まあ、そうなるということです。