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退職後の日々を写真で記録

野口英世はなぜ間違ったのか(1)

2013-01-25 16:44:00 | 野口英世
野口英世といえば多くの伝記が出版されており、千円札の肖像にも載っていることから知らない人はいないであろう。
私も子供の頃、子供向けの伝記を読んだものだ。
英世は幼い頃、手に火傷をおいながらも勉学に励み、医師となる。その後アメリカに渡り、数々の業績を上げるが、アフリカで黄熱病研究中に黄熱病に罹り殉職する。
福島県の猪苗代にある野口英世記念館へ行くと、英世の生い立ちと業績に関する資料が多数展示されている。


英世は多くの研究業績を残したが、現在ではその業績のいくつかは、間違いであったことが知られている。なかでも、英世の業績中、最も大きな業績である黄熱病の病原体の発見は間違いであった。
英世は黄熱病の病原体を梅毒の病原体であるスピロヘータの仲間であるレプトスピラであると報告している。
黄熱病の病原体はウイルスであったことから、後世の人々は英世の時代にはまだ電子顕微鏡はなく、発見しようにも無理であったと彼を擁護した。
しかし、私は電子顕微鏡が無かったために、間違ったのではないと考えている。
当時、既にレプトスピラはワイル病の病原体として、日本の稲田らによって発見されており、英世もその病原体を入手していた。しかも、その病原体をレプトスピラと命名したのは英世本人であったのである。
ワイル病と黄熱病は黄疸と出血の症状は共通しているとはいえ、ワイル病の病原体と承知している細菌を黄熱病の病原体とするには、かなり無理がある。
その無理をなぜ通したのかを、英世のレプトスピラ、黄熱病に関する論文及び英世の手紙などから検証してみようと思う。
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