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良寛 中国へ渡った?

2022-09-17 10:05:46 | 良寛
良寛に関する驚くべき新説が出てきた。
「良寛は中国に渡って書法を学んだ。」との新説を二松学舎大学の元教授の源川彦峰さんが発表した。
俄かに信じ難い説であるが、当地の新聞記事を基にメモしておこうと思う。

新説概要メモ
・良寛は道元が修業した中国の國清寺を訪れたいと考えていた。
・良寛の漢詩に使った漢字の書法は中国に渡らなければ書けないものがある。


・「休」の木の下に横棒を記したり、「匹」の字の上に点を打ったり、「美」の下が「大」でなく「火」と記したものがある。
これらは3~6世紀の「六朝時代」の墓誌銘などに見られる古書法である。
この書法が日本に入ってきたのは明治以降であり、江戸時代の良寛には中国に渡って学ばない限り、書けないはずである。

・「大江茫々春将暮」で始まる詩がある。「大江」は信濃川と一般に解釈されているが、これは長江を指している。
・良寛は修業した円通寺(岡山県)を去り、5年ほど諸国行脚したとされるが詳しい行動は分かっていない。この時期に中国に長崎から渡ったと思われる。
・当時の幕府は鎖国政策をとっていたので密航の事実を知られると罰せられるので良寛は生涯、誰にも明かさなかった。

以上が新説の概要であるが、源川氏は論文の準備をしているとのことなので、さらに詳しい内容を知ることが出来ると思われる。

円通寺後の5年間においては、良寛らしき人物の逸話も各地に残っているのでこの新説は議論を呼ぶと思われるが、楽しみでもある。
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