日日是好日

退職後の日々を写真で記録

TOKYOアイヌ

2012-11-15 20:03:34 | 日記

先日、新潟日報に紹介されていた映画「TOKYOアイヌ」が今日、新潟のりゅーとぴあで上映され、見てきた。

子供の頃、網走では毎年アイヌの人たちによるイオマンテ(熊祭り)が開催され、何回か見たことがある。懐かしさもあって、家内と出かけてみた。会場はスタジオで、パイプ椅子が並べられ、壁に映写する簡易のものであった。それほど多くの人が来ないだろうと思っていたが、大勢の人が来場し、係員は椅子を追加しなければならないほどであった。

映画はドキュメンタリーで、首都圏に住むアイヌの人たちの証言が続く。この人たちはもともとは北海道に住んでいたが、アイヌに対する偏見と差別から逃れるために東京に来た人たちである。昔、北海道は蝦夷と呼ばれていたが、明治政府ができて北海道と命名されると共に、政府はアイヌの人たちを追いやり、主食である鮭と鹿を捕ることを禁止し、アイヌ語の使用も禁じたとのこと。アイヌは、文字を持たないため、言葉の使用を禁じられたことは生活に不自由すると共に非常に屈辱を感じたことであろう。昔読んだ小説「最後の授業」を思い出した。このような中で、アイヌの人たちは差別されつらい日々を送ったことは想像に難くない。

東京に出たアイヌの人も、自分がアイヌであることは隠して生活していたが、この中の一人、宇梶静江さんが昭和47年に自分はアイヌであることを告白し、朝日新聞に「ウタリ(同胞)よてをつなごう」と投稿したことから、アイヌの復権活動が始まる。日本には先住民はいなかったとの立場をとっていた政府であったが、2007年に国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」が採択されたのを受けて、2008年に「アイヌ民族を日本の先住民族として認めることを求める決議」が国会で可決され、ようやくアイヌ民族が日本の先住民族であることが認められた。たった4年前のことである。

私が網走に住んでいたとき、そのような偏見と差別があったのを知らなかったので、今回この映画を見て、恥ずかしながら初めて知った。考えてみればアメリカの先住民族であるインディアンも同様だったのであろう。

映画が終わった後、宇梶静江さんと若手の島田あけみさんとのトークがあり、そこでも宇梶さんは辛かった日々とアイヌの精神文化について熱く語った。また島田さんは、ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の人々との交流を進めているとのことであった。

映画が終わり休憩に入ったとき、ロビーで販売されていた宇梶さんの本を購入した。映画ではアイヌ民族の精神文化についてはあまり語られなかったので、この本に少しでも載っているかと思い購入した。

トークも終わり、散会してから宇梶さんから本にサインを頂いた。

まだまだ偏見と差別が残っており、アイヌの人でもまだ自分がアイヌであることを隠している人も多いとのこと。これらの人々がアイヌであることを誇りにできる社会が一日も早く来ることを願っている。

因みに、「アイヌ」とは「人間」という意味だそうである。

 

コメント
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