禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

言葉の力

2020-11-10 11:58:09 | 政治・社会
 米大統領選において、ジョー・バイデン氏の当選が確定した。それで、バイデン氏の勝利宣言に先立ち副大統領候補のカマラ・ハリス氏の演説を妻と一緒に聞いていたのだけれど、どうも妻の様子がおかしい。声が震えて目が潤んでいる。どうやらハリスさんの演説に感動しているようだ。妻に英語を直接理解する能力はないはずなのだが、ハリスさんのゆったりとした、それでいてクリアで力のこもった声と、同時通訳による格調の高い言葉の内容に心が動かされたのだろう。

 一般に、欧米の政治家は演説が(日本の政治家に比べて)上手いようだ。「最初に言葉ありき」の文化では、言葉は重要である。矛盾したことを述べたり、曖昧なことを言ってごまかしたりすれば、(日本と比較しての話だが)政治家として致命的である。だからこそ彼らの言葉には力があるのだと思う。日本人として、その辺はうらやましい。菅首相の官房長官時代からの記者会見の評価はあまり芳しいものではない。聞かれたことに正面から答えないで、「木で鼻を括る」というか平然としているのである。それは総理大臣になっても変わらないようだ、日本学術会議メンバーの任命拒否問題について、その理由を問われても、「総合的俯瞰的に見て、そのように判断した。」とか「個別の人事には言及しない」などと見当違いな回答をしてすましている。日本との政治家の言動を見ていると、あらためて言葉の儚さというものを思い知らされる。言葉には偉大さと儚さが同居しているのである。

 カマラ氏に続くバイデン氏の演説も素晴らしかった。選挙中は少し年寄りじみて元気が感じられなかったが、この日の演説は見違えるように力強く若々しかった。言葉の一つ一つに昂揚感と誠実さがのり移っている。選挙中もこの調子で演説出来ていれば、選挙は楽勝だったのではないかと思った。

 二人の演説は素晴らしかったが、これからの政局運営は厳しいものになるだろう。トランプは今回の選挙では7千万票を獲得し善戦した。環境問題も国際協調も無視してアメリカ第一主義をモットーに、ともかく短期的にアメリカ景気を押し上げたのだ。新政権はその付けを払わなくてはならない。その上で分断されたアメリカをまとめ上げていくのは非常な困難を伴うだろう。

 しかし、希望はある。ハリス氏は演説の冒頭で、今年7月に逝去した(公民権運動の活動家であり民主党の下院議員でもあった)ジョン・ルイス氏の言葉を引用してこう述べた。「民主主義は状態ではなく行動である」と。ルイス氏の言葉はそれに「各世代がその役割を果たさなければならない」という言葉が続いている。日本の政治家に聴かせたい言葉だ。日本の政治家は「民主主義は多数決だ」と考えているふしがある。選挙に勝ちさえすれば自分のやることに正当性があると考えてしまうのだ。だから学術会議メンバーの選定につても、選挙を経ていない学者よりも選挙の洗礼を受けている自分たちの判断に正当性があると考えてしまう。選挙制度を民主主義だと勘違いしているのである。

 民主主義は状態ではない。つまり、制度そのものではないということである。それは行動であり、各世代がその役割を果たさねばならない、ということは民主主義に完成というものもまたあり得ないということでもある。常に理想に向かって、どの世代もその役割を果たし続ける、その精神こそが民主主義だということである。ハリス氏の言葉の中にアメリカの健全な民主主義が根付いているということを私は感じた。
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