「たいした熱じゃないから…」PCR検査断った立憲・羽田雄一郎参院議員の悲劇
12月27日午後、立憲民主党の羽田雄一郎参院議員が東京都内で死去した。享年53歳という若さだった。
「雄ちゃんがこんなにも突然、亡くなるなんて、信じられません。1か月ほど前に2人で話し込み、立憲民主党と一緒になったことだし、また政権とれるように頑張ろうと言っていたのに……」
原口一博衆院議員は沈痛な声でこう語った。
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羽田氏の体調の異変は12月24日のクリスマスイブだった。羽田氏の支援者は亡くなる直前の様子をこう話す。
「37度を超える発熱があり、念のため、保健所にも連絡。PCR検査をどうするかと聞かれたそうです。ただ高熱でもないと判断し、コロナの拡大で
多忙な保健所、医療機関に迷惑をかけるのもと慮ったようです。『たいした熱でもないから』と断り、自宅で静養したそうです。25日には熱も下がったので、会合などはキャンセルして引き続き、自宅で静養していたそうです。26日は羽田氏の妻の誕生日で、お祝いもあり、ずっと東京の自宅にいた」
再度、体調の変調を訴えたのが27日午前だった。熱が上がり、PCR検査を受けることになり、秘書に迎えに来てくれるように頼んだ。
「出かける前にシャワーを浴びたら、ちょっとフラつくような感じがあった。自宅で静養していたためかと、思い、車に乗り込んだ。その時もちょっと足取りがおぼつかない様子だった。秘書が車出してしばらくすると、様子がおかしくなった。後部座席にいる羽田氏に呼び掛けても返事がなく、意識がないことに気づいた。大急ぎで心臓マッサージなど、蘇生処置を施した。そして病院に搬送されたが、意識が戻ることはなかったそうです」(前出・支援者)
一部では「糖尿病を患っていた」という報道もあるが、関係者によると「重篤なものではない」という。
雄一郎氏は父、羽田孜元首相の秘書を経て1999年参院補欠選挙で長野選挙区から初当選。これまで当選5回で民主党へ政権交代した2012年には野田内閣で国交相として初入閣を果たしていた。
この時期なのでコロナウイルス感染が疑われているという。
「親族だけが警察でご遺体と対面できたそうです。羽田氏は大きな布で覆われた状態だったと聞いた。警察が検死して死因を特定するそうです」(前出・支援者)
前出の原口議員がこう話す。
「私はお父さんの羽田孜先生とも政治活動をともにしました。雄ちゃんもいずれは総理にと衆院に鞍替えして『一緒にやろうと』と誓っていました。お父さんの孜先生が亡くなられて、自民党に戻る議員もいた中で
『政権交代ができるもう一つの政党が必要』との信念で頑張っていた。まだまだやりたいことがあったはず。野党が厳しいとき、つらい時も太陽のような存在でニコニコして、みんなひっぱってくれたのが羽田雄一郎という男。悲しくて残念でなりません」
立憲の福山哲郎幹事長は28日夕、国会内で会見し、羽田氏がコロナウイルスに感染していたことを明かした。新型コロナによる現職の国会議員の死亡は初めて。ご冥福をお祈りします。
(本誌取材班)
※週刊朝日オンライン限定記事