▼最近、ネットでの紹介もあり、黒澤明の映画「こんな夢を見た 夢-赤富士」と忌野清志郎のコンサート「サマータイム・ブルース」をyoutubeで見た。共に反原発を主題としたもので、「原発は安全だと言ってたじゃないか」というのが共通のトーンでもある。共に、今日の日本の状態を予言していたと言っていいかも知れない。
▼両者ともどこかで見ていて記憶の片隅にはあったが、失念していた。今はもう二人共故人となられたが、生前はメジャーな存在であった。ところが、原発モノに関しては共にマスコミでメジャーな形で取り上げられることはなく、芸術家たちの酔狂として片付けられてきたものだ。
無難な話題にはお笑いまで交えて面白おかしく報道するが、誰が操作しているのか、キナ臭いものには反論をするよりは知らぬ存ぜぬの「無視」を決め込む。そんなことはそもそもなかった事にする。マザー・テレサの言った通りだ。「無視」が一番の問題なのだ。
▼すでに中東の圧制者に対する大衆蜂起に関する報道でも明らかになったことだが、今回の、福島第一原発事故や東電に関する一連の報道姿勢を見ても、マスコミの権力性、恣意性、偏向性などをまざまざと見せつけられた気がする。twitterやfacebook、ustreamやyoutubeなど携帯端末やパソコンを駆使したソーシャル・ネットワークの動きとは真逆の情報発信姿勢だと思わざるを得ない。
▼自ら雑誌を発行していた(月刊教師雑誌『いきいきニコラ』)時から感じていたことだが、現場から記事を起こす時に、記者の思想性・専門性・教養性・生活感覚…など、様々なフィルターの質や度合いが試される。記事やネットに流される情報はその結果に過ぎない(そういう観点からすれば、言語化された情報の組み合わせを楽しんで論文をモノしている人間は随分おめでたい、とも言える)。ところが、ustreamやyoutubeは──今回の大地震や大津波の様子や原発建屋内の様子の映像のように──マスコミの加工前の映像をどんどん流してくれる。そこではマスコミの姑息な解釈は、参考程度ならいいが、基本的に邪魔である。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)でも、現場からの生の声がどんどん流れている。
▼政府・利権の側からの風評被害啓発の報道が盛んである。大衆の扇動に惑わされるな、我々の報道を信じろとでも言うように。だが、そういう政府側の発表がどうにも信用ならない。大地震直後に福島第一原発の一号炉が大変なことになっていたことが今頃に発表される。民間主導で専門家による再測定をしたら東京・葛飾区の放射線量は政府発表の5倍…。風評被害の素を作っているのは政府・大本営発表そのものではないのか。
もうバカバカしくて誰も話題にしなくなったが、「直ちに人体に影響は…」と言いながら、その陰で関係家族や子どもは海外に行ってしまったとか…。政治家の子息が東電社員だとか…。ああ、これぞ風評被害で取り締まるべきことなのだろう。
▼今日の海外からの報道によると、アメリカの中東政策が大衆運動の高まりによって大きく変わりそうである。その武器となったのが、先にあげたインターネットや携帯端末による双方向通信である。かつての大本営発表や報道管制のように、もはや情報は権力者やマスコミの独占物ではない。民主主義の担い手である我々一人ひとりが情報の担い手であるべきだ。
「ユビキタス」という言葉があるように、いつでもどこでも誰とでも縦横に情報を発信しかつ受信できる、そういう時代に私たちは突入した。新しい民主主義の姿がそこにある。それをどう創り上げるか、それは我々一人ひとりに突き付けられた課題でもある。
▼最初は間違いもあろうし、誤報もあろう。もしかすると風評被害に乗ってしまうこともあるかもしれない。しかし、それを恐れて萎縮してしまってはいけない。間違ったら素直に謝ろう、そして、それを教訓として活かそう。そういう試行錯誤が今までにはないもっと開かれた民主主義を招来するはずだ。
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▼両者ともどこかで見ていて記憶の片隅にはあったが、失念していた。今はもう二人共故人となられたが、生前はメジャーな存在であった。ところが、原発モノに関しては共にマスコミでメジャーな形で取り上げられることはなく、芸術家たちの酔狂として片付けられてきたものだ。
無難な話題にはお笑いまで交えて面白おかしく報道するが、誰が操作しているのか、キナ臭いものには反論をするよりは知らぬ存ぜぬの「無視」を決め込む。そんなことはそもそもなかった事にする。マザー・テレサの言った通りだ。「無視」が一番の問題なのだ。
▼すでに中東の圧制者に対する大衆蜂起に関する報道でも明らかになったことだが、今回の、福島第一原発事故や東電に関する一連の報道姿勢を見ても、マスコミの権力性、恣意性、偏向性などをまざまざと見せつけられた気がする。twitterやfacebook、ustreamやyoutubeなど携帯端末やパソコンを駆使したソーシャル・ネットワークの動きとは真逆の情報発信姿勢だと思わざるを得ない。
▼自ら雑誌を発行していた(月刊教師雑誌『いきいきニコラ』)時から感じていたことだが、現場から記事を起こす時に、記者の思想性・専門性・教養性・生活感覚…など、様々なフィルターの質や度合いが試される。記事やネットに流される情報はその結果に過ぎない(そういう観点からすれば、言語化された情報の組み合わせを楽しんで論文をモノしている人間は随分おめでたい、とも言える)。ところが、ustreamやyoutubeは──今回の大地震や大津波の様子や原発建屋内の様子の映像のように──マスコミの加工前の映像をどんどん流してくれる。そこではマスコミの姑息な解釈は、参考程度ならいいが、基本的に邪魔である。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)でも、現場からの生の声がどんどん流れている。
▼政府・利権の側からの風評被害啓発の報道が盛んである。大衆の扇動に惑わされるな、我々の報道を信じろとでも言うように。だが、そういう政府側の発表がどうにも信用ならない。大地震直後に福島第一原発の一号炉が大変なことになっていたことが今頃に発表される。民間主導で専門家による再測定をしたら東京・葛飾区の放射線量は政府発表の5倍…。風評被害の素を作っているのは政府・大本営発表そのものではないのか。
もうバカバカしくて誰も話題にしなくなったが、「直ちに人体に影響は…」と言いながら、その陰で関係家族や子どもは海外に行ってしまったとか…。政治家の子息が東電社員だとか…。ああ、これぞ風評被害で取り締まるべきことなのだろう。
▼今日の海外からの報道によると、アメリカの中東政策が大衆運動の高まりによって大きく変わりそうである。その武器となったのが、先にあげたインターネットや携帯端末による双方向通信である。かつての大本営発表や報道管制のように、もはや情報は権力者やマスコミの独占物ではない。民主主義の担い手である我々一人ひとりが情報の担い手であるべきだ。
「ユビキタス」という言葉があるように、いつでもどこでも誰とでも縦横に情報を発信しかつ受信できる、そういう時代に私たちは突入した。新しい民主主義の姿がそこにある。それをどう創り上げるか、それは我々一人ひとりに突き付けられた課題でもある。
▼最初は間違いもあろうし、誤報もあろう。もしかすると風評被害に乗ってしまうこともあるかもしれない。しかし、それを恐れて萎縮してしまってはいけない。間違ったら素直に謝ろう、そして、それを教訓として活かそう。そういう試行錯誤が今までにはないもっと開かれた民主主義を招来するはずだ。
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