教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

前原氏の対案批判は正しいか

2007年11月08日 | 「大人のフリースクール」公開講座

前原副代表、新テロ特措法案に対する民主案を批判(読売新聞) - goo ニュース

 前原氏の対案批判は正しいか

前原氏は 「与野党を超えて、国際貢献のあり方や武器使用基準、憲法解釈を議論し、(武器使用)基準を改正しないと、まともな国際貢献はできない」と指摘したとのこと。

だが、結局、彼の言う『国際貢献」とは「対米協力」のことではないのか。対案批判の根っこはすべてそこにある。彼の批判のすべてはそこから発している。 だが、今一番問題となっているのは、日本はこのまま正しかろうと間違っていようと、従来のように無批判的に対米追従をやっていていいのだろうか、つまりいい加減米国の言いなりの属国的な振る舞いはやめて、もっと国としての主体性を持つべきではないのか、という観点である。この点について、前原氏の考えは相変わらず対米追従型の思考であると言っていいだろう。

それに対して、「国連の枠組みで」とか「国連決議に基づいて」ということが言われるのは、不完全ではあるが日本が単なる対米追従型の路線を越えて国際貢献をする道を模索していることの表れである。国際社会の中で国連主導で物事を進めるということは世界のトップの立場にある米国にとってはあまり必要ないどころか、かえって自由な行動の妨げとさえなるという考え方である。むしろ自分たちの行動が世界の標準であって欲しいとさえ思っているだろう。だが、そのアメリカが誤謬を犯した時どうするか

今までの戦争はなべて勝者の論理が正義とされてきた。しかし、今後も勝者の論理がいつも正義であり、強国の論理がすべて正しいと言えるかどうか。アフガン戦争にせよイラク戦争にせよ、アメリカの世界戦略的の誤り、アメリカの世界認識の至らなさが招いた結果とも言えるのではないか。アメリカが誤った情報に基づいて起こした戦争ではなかったか。だとするならば、アメリカもまた国連の枠組みで行動することが求められる時代になったということである。

自民党の対立軸としての民主党の役割を放棄し、自民党と連立を組みすべてが対米追従の自民党の論理で国策が進むようになれば、国民の多くは民主党に明日の日本を託すような期待は持たなくなるだろう。福田氏との党首対談で小沢氏が持ち帰った大連立構想に民主党が「ノー」を突きつけたのはそういう意味もあったはずである。


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