教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

「大田尭先生を囲む集い」から(2)--絶えず変化し変わらぬもの・関わりと折り合いの中で

2014年01月04日 | 日本の教育

(「大田堯自撰集成」1)

▼たぶん先生ご自身は好まれないかもしれないが、先生が初めての方のために一言。大田尭先生は東大教育学部学部長、都留文科大学学長、子どもを守る会会長等を歴任されただけでなく現場での活動にも多様に参加された。
 私がお会いした頃は既に東大名誉教授となられ、ほとんどの要職や中心的な役割は退かれた後のことだった。たぶん「子どもの目」が主な活動になられた時期ではなかったか。

▼もとより、先生の過去がどうというよりは、子どもの教育の精髄を学ぶためサークルへの新参者と言うのが私のスタンスだった。しかし、先生や周りの方々は旧知のメンバーのように私を迎えてくれた。
 高校時代から尊敬する先生にことさら異論反論する悪い癖で(高校時代のその恩師は後に衆議院議員となられた)、大田先生に対しても同様のところがあった。しかし、先生はいつもにこやかに受け止めて下さった。

▼21日当日に先生が話されたことは、おおよそ次のようなこと。(以下、走り書きメモから)
 生き物はみな根元的自発性を持っている。そしてみな孤独にできている。人はみな自分の中に自分を閉じ込めている存在である。そうやってみんな違って生きている孤独な存在である。
 しかし、一方、みな他者に依存しなけれな生きていけない存在でもある。そして、折り合いをつけて生きている。
 人はみな変わり続けている。が、変わり続けているのに変わらない。変わらないように見えて、自ら変わる力を持っている。そこにあなたの設計図がある。

▼教育界を見て。教師や親はいつも子どもの興味や関心を大事にと言う。だが、実は絶えず同化を求めているのが親や教師のやっていること。
 2006年12月22日に、愛国心、郷土愛を規定した新たな教育基本法が明日で満7年になるが、元の教育基本法の前文は日本国憲法の前文を受けていた。憲法にはふつう価値観を書かないものだが、日本国憲法は先の大戦の反省からそれを入れている。旧帝国憲法では「天皇のために死ね」と国民の魂を政府が支配するものだった。

▼子どもは根元的な自発性を持っている。そして、みんな違う。人間には38億年の生命の歴史があり、そのDNAを持って生きている。
 石川啄木に次のような短歌がある。
  
 こころよく 我にはたらく仕事あれ
     それを仕遂げて 死なむと思ふ

 夢を分かち合う、品位の高い国を創造したい…

▼上記は、筆者の走り書きであり、メモである。省略だらけで、論理は勝手に繋いでいる。(だから、大田尭先生の言とはとても言えない)判読されたい。

▼大田先生のお話の後、いろいろな人がお祝いの言葉や自身の活動等を語られた。A養護の先生の話、カウンセラーだった奥様が病気になられたOさんの切実なお話、波の絵を献呈された画家のFさん、福島県の被災地の子ども達支援の活動をされているNさん、親子劇場のIさん、保育園経営のNさん、兄弟みんな学校の先生というSさん、不登校だった娘が今元気に高校に通っているKさん、S大学で教鞭を取っている先生…その他思い思いに近況を語った。
 そのどれもが大田尭先生のこれまでの活動と結び付いている。教育界だけじゃなく、様々な民間の人々もいる。そういう「子どもの目」の活動が新聞で報道されたこともある。主催者は春になって落ち着いてからまたやりたいとのことだった。

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