教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

井上ひさしさんに合掌

2010年04月14日 | 社会

井上ひさしさんに合掌

▼「ひょうたん島」で言葉の表現に出会う
  当時子どもだった私がテレビドラマの楽しさを知ったのはたぶん「ひょっこりひょうたん島」が最初ではなかったかと思う。軽快な音楽に乗ってひょうたん島が海の上を移動しながら様々な事件に遭遇するという奇抜な発想のドラマは、子どもの私の気持ちを沸き立たせた。ドラヒゲ、ドンガバチョ、博士…当時としては斬新なエンターテインメント性に裏打ちされた豊かな日本語の表現の数々がそこにあった。日本語という言語がこんなに素敵な表現力を内包していること、そして人と言うものはこういう言葉を通して生き思考するのだと言うことを、井上ひさしさんの「ひょうたん島」は子どもの私に身体を揺すぶるような感覚の覚醒=感動を通して教えてくれたように思う。今思うと、それがその後の私の行動原理の基板のひとつになったのではなかったか。

▼一番ノーベル賞をとってほしかった人
 残念ながら私は作家・井上ひさしさんの忠実な読者ではなかった。しかし、机上の勉学を通してではなくその生きざまの中から叩き上げ開花させた類まれな日本語の才能はいつも畏敬の対象であった。だから、何人かの日本の文学者がノーベル賞を受賞したりその候補に上がる度に、「井上ひさしさんこそノーベル賞にふさわしい」と密かに思い、それが実現することを願っていた。しかし、何語にも置き換え可能なグローバル性のある日本語を駆使する作家が国際評価を得る中で、井上さんの日本語の仕事の偉大さはあまり海外では評価されていないようにも見えた。そのひとつの要因は、井上さんが紡ぎ出す日本語による表現の見事さは、その還元不能なほどの見事さにおいて、外国語への翻訳はとても難しかったのかもしれない。一時は翻訳家の怠慢とも考えたが、詩の言葉が翻訳不可能な場合が多々あるように、遅筆堂・井上ひさしさんの戯曲や小説の言葉も同様の困難さにぶつかったのだろうと考え直した。

▼ただ合掌
 井上ひさしさんの評伝的なことはここでは語らない。私の柄ではない。一読者としての私的な思いに留めておきたい。あの飾らない人懐っこそうな笑顔を思い浮かべながら、ただ合掌するだけである。それにしてもちょっと早過ぎはしないかい。もっともっと豊かな日本語を紡ぎ出してほしかった。井上ひさしさん、あなたが去った今、あなたが残した日本語をできるだけ私の身体を通して響かせてみたいと思っている。

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