教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

羅針盤もなく酩酊しラリっている政治指導者たち…中川氏辞任について

2009年02月19日 | 「大人のフリースクール」公開講座
とうとう中川昭一財務・金融相が辞任した。G7後の記者会見での様子はまさに醜態そのものだった。これが戦後1、2の経済危機に陥っている国の財務・金融大臣のとる態度か。弁解の余地はない。

が、麻生氏も危機感を実感していないのか、一旦は彼の続投を決めた。それが追い込まれ追い込まれて、もうどうしようもなくなって辞任した。そこで、与謝野馨経済財政相が財務・金融相を兼務するという。門外漢で詳しくは分からぬが、この危機的状況にあって兼務が可能なのであろうか。可能だとするなら、今まで何のために分けていたのか。それとも初めから要らぬ大臣・省庁であったのか。これで収めようとするその感覚が分からない。それほど自民党は人材が枯渇しているということか。

ちょうどこの時期に、クリントン米国務長官が来日した。日本を初外遊先に選んでのことである。それほどオバマ政権においても日米関係を重視しているということだろう。が、勘ぐって考えれば、クリントン氏は建前としては麻生政権と会いながら、本音では小沢民主党と繋がりをつけておきたかったのではないか。つまり、オバマ政権は自民党を見限り民主党と組もうとしているのではないか。そのことを読めなかったのか、小沢氏の態度が解せなかった。もし民主党がアメリカと対等のパートナーシップを結びたいのなら(小沢氏はそのようなことをクリントン氏に言っている)むしろ積極的に会っておく方が得策ではなかったのか。

郵政民営化に対する麻生氏の対応から、小泉氏も麻生氏に協力しない態度を見せ始めた。そんな中、次期首相候補に石破氏や野田氏の名前が取り沙汰されているが、果たしてそれで自民党は立て直せるのか。事は首相だけの問題ではない。首相を取り巻き支えるスタッフはどうなのか、ということだ。そういうことから考えれば、今の自民党は誰がなっても同じような問題が次から次へと起こってくるのではないかということである。つまり、自民党という党自体がもはや時代に応えられなくなってきたということである。

だが、これは自民党だけに限らないようだ。旧来の政党はどこも同じような問題を抱えているのではないか。たとえば、庶民の味方、弱い者の代表というような党にしても、党の指導者達は本当に庶民の生活を知っているのだろうか、もしかしたらそれは建前だけであって実態は半ば彼らの生活の代弁者ということを任ずることで、本当は彼らを生活の糧にしているだけではないか、もっと言えば弱者や貧者はただ彼らの活動のダシに使われているだけではないかと疑問に思うことがしばしば散見されるのである。それならばむしろ、我が党は富者や権力者の代弁者であると言っている方がよほど正直というものであろう。

そんなに大きなことだというなら、なぜみんな気づかなかったのですか」とは、リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに始まった金融危機について、かのエリザベス女王陛下が発した言葉だそうだが、「大量破壊兵器」にも例えられる今回の未曾有の金融危機について、「何かがおかしい」とうすうす気付きながら、「誰かが何とかしてくれるだろう」とやってきたことの結果であるともいう。この危機の到来に気付いている人は一部にはいたらしい。でも、誰がその警告に耳を貸しだろうか、とも言われる。そういう意味では、金融商品が人の手を離れて一人歩きしてしまっているのに、誰もとめることはできなかったということのようだ。 どこかのSF小説に出てきそうな話である。

そんな危機の中で、一国の代表や責任者が、羅針盤も持たずに酩酊しラリっている。向かい風や横殴りの風が容赦なく貿易依存国日本丸の船体に叩きつけている。船はよじれ断末魔の悲鳴をあげている。この船はついに沈没するのか転覆するのか、もはや船頭の姿も見えない

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