タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関東を歩く①・・海老名,厚木、小田原、大山、横浜

2013年10月23日 | 関東を歩く

再び関東に来ている しばらく滞在して娘宅の家事応援の予定
せっかくの関東なので、時間を作って周辺を歩いてみるつもり、その記録をここに残したい

海老名

海老名はJR線と相鉄線と小田急線の交差で発展した町、初めて行ってみる
駅前は陸橋で続き、テーマパークのようにカラフルだった

  

これだけの店を支えるのは巨大な駐車場があるからと納得する
ポスターに海老名の「えびーにゃ」が”ゆるキャラ・グランプリ20013” にエントリー「5位内を目標」とあった
  

どんな町かと思いながら歩いて市役所へ 思ったより地味だった
駅前のビルから想像して、立派な市庁舎を作っていると思ったので意外だった
人口、1010年で127,700人

地図をもらって旧道を歩いていたら、変わったミカンを見た 名前はなんだろう?
   

その近くの家には大きなサボテンに実がなっていた 海老名は冬も暖かいのだと思う
  

市立郷土資料館を見つけて入る 旧海老名村役場庁舎だそうだ
ここでこの場所が奈良時代の「相模国分寺跡」と知る
  クリック

法隆寺様式の伽藍配置の大きな建物だったと説明を聞く
今は七重塔の基壇が復元された広場の公園になっている
この塔が駅前に十分の一の大きさで復元されていたのだった テーマパークに見えたのはこの歴史だった


 

資料館の展示に縄文土器があった 
この形は東北のものと思っていたので、相模平野にあったことを初めて知った
    

 

厚木

海老名の説明員に厚木の資料館に立派な埴輪があると聞いたので日を変えて行ってみた

先ずは市役所を目指して駅前の繁華街を通り抜ける
厚木市のゆるきゃらは「あゆコロちゃん」、アユが頭に乗った変わった形だった
人口 2010年で224,400人 
   

市役所前の公園の噴水はユニークだった
石の球の列があり、球の中央から水が少しずつ流れている だから球は汚れずきれいだ
  クリック

期待していった郷土資料館だったが、埴輪はそれほど立派でなかった
今城塚古墳の発掘品がいかにすごいかを改めて思う だけど、関西にはこのような土器は無いようだ
  

   

厚木はここを見ただけだったが、この「あつぎ国際大道芸」のポスターが気になって再度出かけた

駅前や公園、通りに人の輪が出来て大道芸を楽しんでいた
ゆるきゃらも子供たちに囲まれていた
   

かなり危険なパーフォームもやっていてハラハラする
  

  

 厚木 おわり 


小田原

小田原は以前「東海道を歩く」で通った事があるが、通り過ぎただけなので町を歩いてみた

新幹線側の駅前には「北条早雲」の立派な騎馬像があった 牛と一緒の像を不思議に思って調べたら
「火牛の計」と言う牛の角に松明を付けて、軍勢を多く見せて小田原を手に入れたそうである
早雲から四代北条氏がここ小田原を治めることになる
  

駅から小田原城に向かい赤い「学橋」で堀を渡って城内に入る 手入れされた公園になっている
小田原城は1970年にコンクリート構造で再建されて、中は北条関連の展示場になっている(写真禁止)
展示を読んで関東の武士の誇りをみる 戦国時代は命を懸けての競争だったと改めて思う
  

北条が滅びたのは秀吉の小田原攻め これで天下統一がなされたという 城に戦図があった

小田原合戦図で船で囲んだ小田原海岸を見たいと思って海岸線に行って見たが、砂浜は無かった
海岸には高速道路が作られていて少しの松並木が残る程度だった
  

海のすぐ近くだから、津波警戒の海抜表示があちこちにあった
  

小田原城の横に「二宮神社」があり、あの二宮金次郎はここ小田原生まれの人だと知る
神社には七五三の祝いの晴れ着の子が沢山いた
 

報徳博物館で尊徳の業績を読むが、小学校の校庭で薪を担いで本を読む銅像を刷り込まれていた私はこのおじさんの姿に驚いた
昔見た「一円札」の写真が二宮尊徳だったことも知らなかった
この相模で神様になった尊徳. 娘宅の近くに二宮神社があるのを納得した
  
 

小田原 おわり


このポスターを見たとき、「関東の人が鳥取の大山に行くの?」と思ったが
この山は「ダイセンではなくオオヤマ」と読む丹沢山系の山だった!
紅葉が見ごろと聞いてフリーパスを買って行ってみた

最寄りの「伊勢原駅」に着いて驚いた、ハイキングスタイルの人で一杯!
ケーブル下行のバスに乗るのに20分待ちの行列だった

バスを降りてケーブルまでの参道を登って、ケーブル乗車待ちの列がまた50分
土曜日で快晴だったが人の多さに圧倒される

 大山阿夫利神社周辺は紅葉が美しかったが、神社参拝も行列
 

せっかくここまで来たのだからと「見晴台」まで30分歩いてみたが
歩いている人の殆どが本格的な登山スタイル
踏み固められたハイキング道だった
      

見晴らし台に着いたらここも満員、ほとんどの人が携帯コンロを使って食事しているのにまた驚く
ここの見晴らし台からはるかに東京方面が見える
 

下りケーブルの途中駅で降りて、大山寺へいく
期待以上に紅葉が見事だった
 

 

帰りもケーブル待ち、バス待ちをして下山する
美しい紅葉見を堪能したが待ち時間も長かった

おわり 


横浜5回目

開港記念館講堂

前回行った時に使用中で見学で講堂が
毎月15日は一般公開していると聞いて、再度出かけてみた
大阪中の島の公会堂と同じ時代で雰囲気が似ている 二階から見たほうが舞台が間近でいい感じだった
  

ビルの横に岡倉天心の生誕の地の記念碑があった

 


 

横浜4回目

関内

横浜の周辺を歩いたが肝心の発祥の地を詳しく見て無いので日を変えて行く
「関内」の地名は浮世絵にあるこの地が所のにあったので付いたそうだ
今では川の上に高速道が通り、中央の大通りの先に大桟橋がある
 

当時のままの地名が残り、日本が外国に向けて開港した歴史が残っている
馬車道、汽車道と言う名に昔を感じていたら、馬用の水飲み場が保存されていた あちこちに石造りや煉瓦の建物がある

後で知ったが「関東大震災」でほとんどの建物が倒壊。今あるのはほぼ全部が再建されたもの
      

県立歴史博物館を見たいと行ったが、年末で休館で残念 もう一度訪ねようと思う

県庁は堂々とした建物だった上に載った塔は「キングの塔」呼ぶそうだ

県庁の向かいにあった「横浜市開港記念会館」を見る ここの塔は「ジャックの塔」と呼ぶ
無料の上、ボランティアのガイドさんが詳しく説明してくれた
ステンドグラスが美しかった 講堂が使用中で見れなかったのが残念
  

   

横浜開港資料館の中庭に「玉楠の木」がある
この楠木の下で、1854年「日米和親条約」が締結されたそうで、説明と写真がついていた
楠木は関東大震災で焼けたが、根元から新芽が出て成長したそうだ 
    

シルク博物館へ行く 開港後の横浜はシルクの輸出を盛んに行った そんな歴史を復習する
   

横浜税関も初期から出来たユニークな建物、税関の塔は「クイーンの塔」と呼ぶそうだ
資料展示室で税関の仕事を見る
初期の官吏、明治時代の官吏 水煮筍缶の麻薬を摘発 偽ブランド品など


  

横浜の3個の塔、キング、ジャック、クイーンを一度に見るポイントがあると
先ほどのボランティアさんが教えてくれたので行ってみた
県庁の向かい側の歩道の上にプレートがあり、見る事が出来た
  

    

ここで念願すると叶うという
 


 

横浜3回目

三溪園

富岡製紙で財を成した原家が作った自宅と庭園が公開されたもの
原三奚は文化人との交流が深い人物だった

横浜の中心から離れているが見ておきたい公園と思い行くが期待通りだった
 クリック

庭には松の木が多く 庭師が手入れをしていた
手前が手入れ後ですっきり 奥が茂ったままの松である
  

園内にある「鶴翔閣」は原三奚が自宅として、また、ゲストを招く為に作った建物
  

内部を解説付きで見て回った
内部は欄間や襖絵もなくすっきりとした設えだったが、飛騨の匠が作ったと言うしっかりした作りだった
明治時代に建てられたのに天井が高く、身長が高くても鴨居に頭が当たらない
作った当時から、外国人のゲストを想定していたそうだ
   

 ガラス戸の外に雨戸を閉めるのに、戸袋や角の回転に工夫してあり感心する
廊下の梁も一本柱が通っている
 

   

原三渓を尊敬する解説員が熱弁で説明してくれる
ここの椅子に明治大正の著名人、歴代の総理が座ったとそうで「試しに座りなさい」と皆に勧めた
  

部屋の中に分厚い扉の蔵があった この中に国宝級の品があり、ゲストたちに見せたという

この3間続きの和室は岡倉天心の依頼で支援した日本初期の画家達が使ったという
横山大観、下村観山、前田青邨が滞在 秘蔵品を鑑賞したり、作品を描いたという
後日、片岡球子が来たときは「恐れ多い」と室内に入れなかったと解説員が説明した
私たちはズカズカと上り込んだけれど・・

外苑の庭園内には、由緒ある建物が移築され保存されていた
戦火に合わなかったから、今に残っている
 

京都 燈明寺を移築した 本堂と三重の塔
 

白川郷にあった合掌造りの豪商の民家
  

紅葉に沢山のカメラマンが来ていた 結婚式の花嫁姿もあった
四季折々に楽しめる庭園である 季節を変えてもう一度行ってみたいと思う


横浜1、2回目 

桜木町で降りて、横浜の観光地を歩いてみた

汽車道と表示されて、生糸貿易で栄えた時に使われていた鉄路が歩道になっていた
ミネアポリスでミシシッピ川に架けられていた歩道橋と同じ時代の流れだ
   

昔の倉庫が保存された赤レンガから、大桟橋を見ると豪華客船「飛鳥」が留まっていた
  

板張りの大桟橋は観光地になっていて修学旅行生も楽しんでいた
近くで見る「飛鳥」はビルのように大きかった 

  

山下公園は今は花で埋まり市民の憩いの場になっているが、関東大震災の瓦礫を埋めて作られたという
赤い靴の女の子の像もあった
  

 

海外移住資料館

赤レンガ国際間の中にある移住資料館を見る
国が指導した日本人の移住は100年以上前から始まっていたそうで、多くの人ががこの横浜港から出発していった
ハワイ、アメリカ、ブラジルへ渡った人達の様子が展示されていた

  

積み上げられた当時のスーツケースが日本の生活習慣や伝統を運んだのだと思う
今では6世が生まれたという成功した大家族の写真もあった

 

山の手・洋館・外人墓地

石川町駅で降りて山の手に上る石段はすごく急な坂だった
登り上がると洋館が次々と現れて異次元の雰囲気だった
   

山手カトリック教会  フェリス女学園
  

ベーリックホールは公開されていて、室内を見学できた

  

 

外人墓地・港の見える丘

外人墓地は保存用の寄付金を払って見学をする 日本墓地とは違う雰囲気
日本の近代化に尽くした人が眠っている
初めて鉄道を引いた技師たちのお墓もあった
   

 

港の見える丘の高台から見下ろす 観光客がいっぱいだった
  

おわり 



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