天声人語に、卒業の日に、と題する一文が載った、ある作家の卒業講演集の話しである。それを聞く立場と、それを話す立場とでは、受け止め方にも微妙な温度差があるだろうけれど、箴言のたぐいであるとするなら、智慧のままだ。記憶、印象に残る言葉をはなむけにスピーチする、そのことばとして聞くわけである。そのありきたりには、気の利いたことがあるわけがない。FBでこんな質問を受けて、答えないわけにもいかないとすれば、答えようもないわけだが、次のようである。>長く生きてらっしゃる立場から私たち20代に学生に送る人生の生き方のアドバイスがあれば教えてください。> 返信 · 22時間前 どうした、急に、たかだか70年、差は50年の半世紀、そこに起こったことを話すくらい……人は助け合っているので互いに信頼すること、ひとつがあれば信念をもって続けること、ことばを大切にすること、かなぁ、そうですね、質問の20代から30代まで欲望を3年ごとにコントロールするといいですよ
>返信 · 15時間前 お言葉ありがとうございます。就職活動中につき、人生について考えておりました。 . . . 本文を読む
稀勢の里がけがをして迎えた千秋楽、それは作戦通りだったようだ。そして同点決勝となり、本割にない優勝決定選で勝利して、賜杯を手にした。そのときに、稀勢の里はこの15日間の新横綱の重責を果たすべく勝利した。語った言葉に、ずっとそういう場所であった。何かが働いた、自分にくわわった何かがあった、という思いなのだろう。それが奇しくも凝縮して、あり得ない力と本人の口をして言わしめた。見るからに2戦連勝は完璧である、少なくともけがをして、それで万全でなかったにしても、相手もまた、その状況にありながら勝ちを制したのである。感動ものだ、奇跡だと、桟敷席からメディアを通した地元のファンまで、その素晴らしい取り組みに酔った。見えない力とは何であろう、そうそれは人々の抱く思いと、それによって生じる雰囲気、空気なのだろう。焦ったとする、優位に立っていた照ノ富士は悔しかったであろう。呑み込まれていく周囲の圧倒する声援には致し方がない。その力を否応なく感じてしまったのは2回続けて土俵に転がされてしまった実感となったろう。ふがいないとしてくやむだけのものではない、その力の大きさは、彼の見せた表情にこそ現れていた。 . . . 本文を読む