自然法爾の事
「自然(じねん)といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひ(自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめて(あらためて。ことさらに)はからはざるなり。このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。
「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて迎えんと、はからせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。
ちかひのやうは、無上仏(このうえなくすぐれた仏。ここは、無色無形の真如そのものをいう)にならしめんと誓ひたまへるなり。無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましませぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせん料(ため)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰(あれこれ論議し、詮索すること。)すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなるべし。
正嘉二年(1258年)十二月十五日
愚禿親鸞八十六歳 . . . 本文を読む
京都の私大、その大学の学長が中央公聴会で発言をしたことをめぐり、大学職員有志、教員たちが署名を集めて声明を出している。リベラル派と目される学長は、在阪のテレビ番組にも顔出しをしていたことがあって、国際政治学者という立場であっても、なくても、その発言は鋭かった。その学長に、心から恥ずかしく思うと文句をつけたのである。政府与党の推薦で外交評論家と二人は、法案の評価と理解をしめしたとされる。それにしても、ほかの3人の公聴意見で、政府への信頼と、政策のとらえ方と、それがないこと、また戦争に巻き込まれず済んだ理由を、日米同盟のおかげではなく、日米安保条約のもと憲法9条により集団的自衛権行使を禁止していたからだ、と断言するならば、いまから起きようとしている、自衛権が実施される歯止めの状況を、行使の禁止を政治的に稚拙と言ってしまうのは、どういうことだろう。外交のしたたかさを、軍事力の準備による近隣の状況が変化しつつあることを、よく見なければならない。 . . . 本文を読む
集団的自衛権 right of collective self-defense その集団が何かが問われるのだろう。自衛としているのだから、これは自明のことである。集団も、味方か同盟か、仲間とともにである。憲法解釈をして自衛が憲法違反ならば、その行為においては、国内法で解釈してのことである。国内法と、言ってみて、海外法があるわけでもないので、それは国際法規の取り決めでということになるが、国連憲章によれば、ということになるのか。国内法で憲法違反であるから、国際法で違反ではないということは、このケースでは、まずはない、と考えたほうがよいだろう。ただ、国内法で自衛のために許すことであるのに、国際法上で自衛のためにということを認めないとしたら、それは自衛の解釈に基準が異なる考えを作る。ダブルスタンダードになると、これまた日本国民の、本音と建前だとか、内と外だとかの、得意とするところであるかと、その影響にありするかと思うと暗い気持ちになる。。 . . . 本文を読む
70年談話「侵略」明記を 歴史学者ら74人が声明 20150718 ニュースの見出しである。侵略と侵攻との用語に、侵略の定義が、国連総会決議3314 -- 国際連合による侵略の定義 United Nations General Assembly Resolution 3314 on the Definition of Aggression 1974年12月14日 >国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう とあり、国際連合安全保障理事会が侵略の事実の有無を認定する際の指針という性質を持つため、議論がわかれるようである。また、国際条約上の義務を無視して開戦した場合に侵略となるということであったから、条約違反の認定で相互に意見が異なることが起こりうるし、何よりも勝者が用いる正当化のための語でもあったようである。そこには日本語の侵略というとらえ方よりも侵攻という用語となる。 . . . 本文を読む