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日出る処の天子、書を没する処の天子に致す

2015-07-06 | 斯く書く
隋書に、開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之 とみえる。ここに見える名は、姓の阿毎、アメ、多利思北孤、北は比の誤り、多利思比孤とすると、タラシヒコである。続く号は、阿輩雞弥、オホキミとなる。これは通説による。開皇20年の年号を、推古天皇8年と推測する説が行われてきている。遣隋使は、倭国、俀國が技術や制度を学ぶために隋に派遣した、朝貢使である。600年、推古8年から618年、推古26年の18年間、5回以上派遣されていると言う。中国の歴史書の記録に対して、日本の国史には、第2回目の記録がある。それは、日本書紀に記載されていて、607年、推古15年のことである。小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたと記されている。以上、ウイキペディアによる。その記載には、さきのようすが記されている。つまり、第1回遣隋使は、日本書紀に記録がなく隋書にある。隋書、東夷傳俀國傳は高祖文帝の問いに遣使が答えた様子を記録したものであるし、そして、倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書に、同じく、隋書、東夷傳俀國傳に日出處天子致書日沒處天子無恙云云、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや、云々、と書き出されていたと記録する。ここで、日本という名称が使用されたのは遣唐使からであると解説している。 . . . 本文を読む

日本語の文法について その三

2015-07-06 | 日本語文法
日本語の文法について 20130414より再掲 文法の議論   日本文語の文法について その20  文法の議論を取り上げるとあることに気づく。それは言語の現象として日本語文法にあるものは伝統文法と近代文法の解釈である。言って来たところの漢語文法と英語文法である。古代漢語は借用語として取り入れたので日本語の意識にある。それが漢文訓読語法として日本語に影響を与えた。国語はそれを選り分けようとしたが、日本語の基盤となった。伝統文法は国語の文法とみてよいが、近代文法が日本語の現代語文法として定着しているので、そこにはあらたな形態論議が日本語教育用文法として行われるようになってきた。統語また統辞としてのシンタクスは議論が繰り返される。伝統文法が持っていた日本語の基盤が見直されてきて近代文法がまとった衣をつけかえようとしているかのようである。 . . . 本文を読む

日本語の文法について その二

2015-07-06 | 日本語文法
日本語の文法について その2 20130414再掲  ~に~が 日本語文法の文は述語を捉えて分類する。述語にある品詞を見る。文に動詞がある。その動詞の第1は存在を表す。その存在にはわたしたちはそこにとどまることで意識している。すなわちじっとしているものか、動いているものか、動くものであっても、そこにとどまって動かないでいるものかどうか、そのいずれかを捉える。有るかないか、居るかどうか。  主語を示す   必須要素の主語   日本語の文   主語と文の基本構造   主語は文章にある   文、文章   品詞、文節、形態   文章にあるもの   語にあるもの   文典、文法書   体用   語句    . . . 本文を読む

日本語の文法について その一

2015-07-06 | 日本語文法
日本語の文法について 20130414より、再掲  日本語の文法について、文法とは文の法則または文章の法則とする。文法という用語は近代以降のことで翻訳語として成立した。それまでに日本語を文法としてとらえることがあったか。古代漢語の影響で語法を捉えることはあったであろうし、日本語文典というポルトガル語による解説書が作られ日本語を文法としてとらえることがあった。 文法は考え方である。その考え方を論理として規則にする。文法がどうして必要であるかとその規則を捉えてみると、言語は宇宙と神羅万象のさまざまを表現する言葉であるからその中心となるものを捉えて論理化しようとしてきたようだと思い当たる。それは地域と言葉によって異なる。考え方をそのようにすると、それぞれであるということになる。 . . . 本文を読む