読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

「拙」と言う字について

2007-06-05 21:12:37 | Weblog

柳瀬尚紀氏が彼の近著「日本語は天才である」の中で拙と言う文字の出の部分の漢字の成り立ちについて分からず確か「お手上げだった」と書いていたような記憶が私に有った。気になって調べて見る事にした。白川静の「字通」では出は歩行を示す止(あし)のかかとのあとの曲線を加えた形でそこより出行する意を示すとあり、中国一世紀の許慎による「説文解字」では草木の伸び出す象としているがそうではなく、「字通」では、ト文では、出は趾(あし)あとの形になっている。金文ではそれに祝禱の器を示す∪の中に横棒を書いた「さい」と言う形を添えている。つまりこの「出」と言う文字は出行の儀礼を意味している文字であると説明されている。拙は出に手偏が加えられているがこの意味は「功ならざること」と説文解字にある。「出」は出行する事でそれに手が付くと何故、不器用を意味する事になるかに付いては「字通」にも「字訓」にも説明が読み取れなかった。これは私の推測だが「拙」は乳幼児が手を着いてハイハイをしながら前へ動き出す形ではないかと思った。そうすると拙が功ならざる事の意として理解できるような気がする。白川静さんが存命なら尋ねて見たいと思った。