千葉県遺族会女性部山梨県護国神社参拝及び一泊二日研修会の旅
参加者 38名。 今までバス2台の旅でしたが遺児の高齢化が進み今年初めてバス1台の旅に
日程の変更の件、9月30日(月)一日目 山梨県護国神社昇殿参拝 → 武田神社参拝を行う。
一日目 9月30日(月)
バスは千葉駅北口集合者を乗せて9時スタート → 西船橋南口集合者を乗せて10時スタートにバスは一路「山梨県護国神社昇殿参拝」に向かいました。
「山梨県護国神社」到着。昇殿参拝14:10~15:00
山梨県護国神社拝殿 甲府の街並みが見渡せる小高い丘に建立されています
お札を頂きました 西南戦争以来、日露戦争や大東亜戦争などで戦没した県内出身者の御霊25061柱が奉斎され、慰霊碑、納骨堂が建立されています。
敷地内には約200本の桜があり、春には桜の名所としても知られています。
オオシマザクラ、ソメイヨシノなど10種、約200本の桜が境内の隅々まで咲いています。
「武田神社参拝」
武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に鎮座致しております。 貴重な御朱印を一体頂いてまいりました
この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。
館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、
神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せます。
また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、
身につけると「金運」のご利益があるといわれております。
研修場所 長野県諏訪市 RAKO華乃井ホテル到着 17:00
(以下ホテル関係の画像はネットより頂きました)
夜景に見る「RAKO華乃井ホテル」の全景 美しい夜の「エントランス」
「RAKO華乃井ホテル」は美しい諏訪湖を望む露天風呂や、上諏訪温泉に諏訪の地酒を混入した名物風呂など、様々な趣向を凝らした全15種の湯殿で館内湯巡りを満喫できるスパリゾートホテル。
夕食は、すき焼き・前菜・お造り・わかさぎ天麩羅食べ放題・信州蕎麦・信州産こしひかり等を味わう和食会席を食事会場にてご用意(お品書きは時季・仕入状況により変更する場合有)
千葉市遺族会3名の参加者は諏訪湖を眺めながら友情を温め合いました 素晴らしい諏訪湖を眺めながら「望黒曜の湯」に身を沈め、心穏やかな時間を過ごしました
諏訪湖を望む素晴らしい夜景はネットより頂きました この画像は諏訪湖を望む私の夜景のつもりですが
美味しいご馳走のメニューをご紹介いたしましたが、遺児の高齢化に年々参加者が減って今年も淋しい!宴会に、それでも数名の方が力強くマイクを握ってくださいました
屋上テラスからの美しい夕焼け(ネットより) 2日目ホテルを出発して間もなく諏訪湖とのお別れをバスから収めました(私)
二日目 10月1日(火)
ホテル 9:00出発 ~ 信州味噌工場見学及び「貧乏神神社」参拝
味噌蔵 工場見学のご案内
昔ながらの味噌造りの製法である天然醸造は「天然蔵」という場所で、天然二年味噌、三年味噌が背丈よりも大きな木樽で静かに熟成の時を待っています。
天然蔵にある木樽に直接触れることもでき、味噌の種類や製造方法等を案内人が説明します。
現在、このような木樽でじっくり熟成させる製法は、ほぼ他では見られません。
伝統ある当店の味噌がどのように造られているか、実際ご覧いただきたく思っております。
お味噌汁・お漬物の試食もあり、さらに工場見学者全員に、信州味噌をプレゼント致します。
是非、伝統的な味噌造りをご覧いただき、実感ください。
どぶろく製造場
丸井発酵パークのどぶろくは、八ヶ岳山麓、フォッサマグナが走る固い岩盤から流れる清らかな水と、高い標高が生む昼夜の寒暖差が育んだ上質な米を使用して製造されます。
一年を通じて造りたての生どぶろくを提供できる大変珍しい施設です。
工場見学では、ガラス越しに瓶詰めの様子などを見ることができます。
貧 乏 神 神 社
『貧乏』というのはお金のことではないんです。『心』の貧しい人が一番の貧乏人なんです
今、世の中で一番ユニークかつ斬新な神社がこの貧乏神様神社ではないでしょうか。
焼味噌好きの貧乏神様がついに当店の味噌蔵にご降臨されました。
もこの神様、ただの貧乏神でないのがミソ!
災いを福に変える、プラス思考の神様なのです。
おもしろおかしく参拝、しかも日頃のストレスも解消出来ますので、是非一度お立ち寄り下さい。
1 参拝方法
① 備付けの貧棒で御神木を「貧乏神飛んでけー」と3回叩く
② 次に「貧乏神出てけー」と御神木を3回蹴る。(3回3回で散々な目にあわす)
③ 最後に樽の中の貧乏神に向かって豆を1回投げつける(心の貧乏神にとどめをさす)
自分の弱い心を叩いてストレス解消! 大笑いして、元気になったことろで「良い事ある!ある!ある!」と念じて下さい。
2 ハズレ馬券やハズレ宝くじお持ちください
貧乏神が宿ったこれらの外れ券、さっさと置き去り、さあ次のチャンスへ!逆転の発想で、必ずツキをゲット!
そうそう、しっかり“撃退”も忘れずにね。
3 最後に鈿女神社で参拝を
最後におかめ神社に参拝。こちらは、普通の神社の通りお賽銭を投げ、鈴を鳴らし、手を合わせて拝みます。
最後におかめ様の顔をなでます。ほっぺたをなぜるとご利益おおし。
4 貧乏神と味噌の関係
辞書には「窮鬼」と載っています。
すだれ眉毛に金壷まなこ、頭に角が一本生え、体が隠れるマンとを破り、破れた渋団扇を持っていると・・・。
また、痩せこけて色青ざめ、さも悲しげに立っているとも・・・江戸時代、大阪の富豪の家が毎月晦日に貧乏神送りをしたようです。
番頭が貧乏神が好むという焼味噌を二つ作り、座敷から店へと家内中を持ち回り、終わって川へ流したと伝えられています。
貧乏神神社は、お願いではなく、叩いて蹴飛ばして追い出すという、「鬼は外、福は内」の発想です。
味噌工場見学のみと思いましたらなんと、味噌蔵に「貧乏神神社」が祀られておりました。
貴重なチャンスに思い切り「叩いて蹴飛ばして貧乏を追い出し、鬼は外、福は内 最後におかめ神社に参拝」致しました。
初めて見聞きしたことでしたので私のためにネットより転載させて頂き学ぶことに致しました。
最後の参拝は諏訪大社上社本宮参拝 10:10 ~ 11:00
古からの伝統を残す、諏訪⼤社 ↑ 天高く聳える第一御柱
信濃國一之宮、神階は正一位。
全国に約一万社あるといわれるお諏訪様を祀る神社の総本社であり、
国内にある最も古い神社のひとつとされています。
諏訪大神様の御神徳は数々あり枚挙にいとまありませんが、
古くから雨風・水の守護神、五穀豊穣を祈り生命の根源を司る神として、
また武勇の神として代々朝廷をはじめ、武門武将、多くの方々に信仰されております。
7年に一度、寅と申の年に執り行われる神事「式年造営御柱大祭」。
宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の神事は通称「御柱祭」と呼ばれ、諏訪大社の中でも最大にして最も重要な神事とされています。
1200年以上も連綿と受け継がれ、諏訪6市町村の氏子たちが奉仕する御柱祭は、諏訪の誇り高き伝統文化でもあります。
を楽しみました。昼食後は皆様それぞれがご家族へ、お孫様へ、友人・知人の皆様へ両手に持ちきれない程のお土産を買い求め、帰路のバスの中は皆様の笑顔に溢れておりました。
戦後79年、父を知らない私達ですが、この度、千葉県遺族会女性部の企画の楽しい旅に参加ができましたことに父たちのご加護があればこそと思っております昨今です。
千葉県護国神社の宮司様の数々の貴重なお話を心にとどめ、折々の場所で宮司様のお話を思い出しながら大切に行ってまいりたく思っております。
しかし、山梨県護国神社 宮司様の「年々参拝者が少なくなりまして、参拝者がお一方様もお出でにならない日も目立ってまいりました。」のお話に、遺族の高齢化と共に戦争の事実も遥かになってまいりました。
今後は、孫、ひ孫の皆様の「戦争の語り部」としてのご活躍をお祈り申し上げております。
この度の旅行にご尽力頂きました千葉県遺族会事務局の皆様、山下女性部長及び役員の皆様に心より感謝を申し上げまして未熟ですが旅の記録とさせていただきます。ありがとうございました。
永平寺に日帰りは残念でございましたね。
先日翻訳の件でご紹介の夫の友人の河内さんは曹洞宗の僧侶でもありますので
今までに2回も宿坊に宿泊させて頂き、思い出深い旅を楽しむことができました。
この度の参加者は高齢の身バスがとうとう1台になってしまいました。
来年は私も不参加?もあり得ますことに淋しくなりました。
ブログに掲載する写真を撮る気力も衰え、ネットからお借りして何とか仕上げました
武田神社や長野県の諏訪神社まで参拝されお元気で
一泊されたことが羨ましいです。
私たちは40年ぶりに永平寺に行きました。
でも日帰りでしたので、一か所だけでした。。
あちらは思い出の所でしたか。
諏訪神社は8年ぶりに訪ねましたが、歳を重ねましたのでこの度は参拝のみに御柱めぐりはしませんでした。
遺児も高齢に参加者も年々少なく、とうとう今年はバス1台になってしまいました。
杖を突く人が多くなってビックリ!でしたが来年はお仲間になりそうです。
新聞記事の事は部長さんからご紹介頂きましたが、
千葉県遺族会のHPにも掲載頂き、父への供養になりました。
豪華ホテルで懇親会の (縄)
諏訪湖には、スケートに、行ったことが、、若き頃、
諏訪神社にも・・・・・。
此処御柱祭りは有名ですね!!
良き時を過ごされました!!
キット遺族会では、okoさんの新聞記事で話題もちきりで花が咲いたことでしょう!!
御疲れさんでした。