千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成24年6月度定例会
「開催のご案内」 より
6月定例会は成田街道 ・ 御成道 ・ 上総道が交わる交通の要衝 ・ 船橋宿に残る戊辰戦争の面影と太宰治ゆかりのものを訪ねる事にしました。
その後、船橋グランドホテルにて「新会員の歓迎会」を行います。
歴史倶楽部は今年度56名の新会員をお迎えし会員数266名になりました。
以上のご案内に、大勢の皆様が参加されましたことを伺いました。
私は残念ながら参加できませんでしたが、広報ご担当のお方が早速HPにご紹介をしてくださいましたので、
お訪ねいただきました皆様にもご覧いただきたくご紹介させていただきます。
1.開催日 平成24年6月3日 (日) 時々
2.参加者 135名 (内 新会員は31名)
《訪問先》
(1)船橋御殿跡と東照宮
1614年、徳川家康が造営した御殿跡。鷹狩のために宿泊しましたと ガイドさんの説明
家康公は鷹狩を好み、又、その際にはその地方の巡検も兼ねていたこともあり、各地に 「御茶屋」、あるいは 「御殿」 と称される休憩所や宿泊所が設けられた。
船橋御殿もその 1つで、慶長19年(1614)、家康公は上総土気(とけ)、東金で鷹狩を行なっているが、船橋から東金に向かってほぼ一直線に延びる御成街道や東金御殿等と
ともにこの頃に建てられたと推測されている。
船橋御殿の面積は約 3万3000平方メートルで、海老川西側の土手に囲まれた地域であったといわれ、広大な正殿が建てられたといわれる。
家康公は元和元年(1615)11月、東金方面に向かう途中、船橋御殿に宿泊している。
家康公の船橋御殿宿泊はこれが最初にして最後のこととなるが、2代将軍秀忠は鷹狩の際には度々、船橋御殿に立ち寄ったといわれている。
将軍家による東金での鷹狩が、寛永 7年(1630)頃に終止した後も船橋御殿は存続していたが、寛文年間の終わり頃(1670年代)には、廃止となったようで、その後、御殿の
敷地は船橋大神宮宮司の富氏に与えられ、開墾されて畑地となった。
現在、船橋御殿跡地に建てられている東照宮は富氏が建立したものであるが、この場所がかつて御殿の中心であった場所であると伝えられている。
(2)九重橋 (通称太宰治橋)
太宰治が住んでいた住宅の近くの橋 太宰治旧居跡の碑
太宰治の植えた夾竹桃と立て札
九重橋には走れメロスの本のレリーフ があります 太宰治 『十五年間』 より
太宰 治 明治42年(1909年)~昭和23年(1948年)
本名・津島修治 明治42年(1909年)、青森県北津軽郡金木村の大地主の家に生まれる。
『逆行』で第一回芥川賞候補になった後、沈滞した時期もあったが、昭和14年の石原美知子と結婚後、『富嶽百景』 『走れメロス』 『津 軽』 など秀作を次々と発表。
昭和14年『満願』が国民新聞の短編小説コンクールに当選、昭和15年短編集『女生徒』が北村透谷文学賞の副賞に選ばれた。
戦時中も創作意欲は衰えることを知らなかったが、戦後 『ヴィヨンの妻』 『斜 陽』 で流行作家となった。(以上はHPより)
(3)船橋大神宮
船橋大神宮 灯明台
意富比神社 (おおひじんじゃ) は、式内社で、旧社格は県社。
船橋大神宮 (ふなばしだいじんぐう) の通称で親しまれており、「日本一小さい大神宮」 の異名もあります。
江戸時代に幕府から50石の朱印地をあたえられた船橋地方で最も古く格式のあるお宮です。
境内の 灯明台 は国内最大級の民間灯明台と言われ、千葉県指定有形民俗文化財 に指定されており年末、酉の市で演じられる神楽は船橋市指定無形民俗文化財となっています。
(4)了源寺
了源寺の住職がモダンで明るく、機知に富み、素晴らしい体験でした
江戸中期の享保年間 (1716~20)、幕府の大砲試射場があり、廃止後に鐘楼を建て、明治4年 (1871) まで 「時の鐘」 として近隣に時を知らせていた。
薩摩藩の詰所があったことから、戊辰戦争で船橋宿では唯一、被災しなかった寺院です。今回は本堂に上がり秘宝を見せていただきました
(5) 船橋グランドホテル 参加者 135名
26期新会員 (参加者 31名) の歓迎会を行いました。
新会員を迎えて楽しそうな懇親会の様子
会長様より
会員の皆様のパワーで見事に天気予報 時々 をひっくり返し、散策日和になりました。
午前の予定のコースを終え、汗ばんだ肌に海老川の風を心地よく感じながら正午過ぎ、船橋グランドホテルに入り歓迎会を行いました。
和気藹藹の楽しい時を過ごし15時前お開きとなりました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。(メールに頂きましたお言葉を転載させて頂きました。)
何よりもに恵まれましたことに私事のようにとても嬉しゅう御座いました。
ご盛会のご様子を幸せに拝見させて頂きました。
会長様を初め役員の皆様、大変お疲れ様で御座いました。 (・_・)(._.)
諸事情からしばらく皆様とご一緒する事が出来ませんが、HPを楽しみに拝見させて頂きたく存じます。
しかし、毎月の定例会の素晴らしい記事の長期保存が叶いません事にとても残念に思っております。
未熟なブログですが、時間の許す限り一部を保存させて頂きたく考えております。
歴史倶楽部の益々のご繁栄をお祈り申し上げます
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船橋にもあったのですね。昨年和歌山の
紀州東照宮に行った時知りました。
太宰治が船橋に居たとは知りません
でした。
でしたが都合で途中退席してしまいました。
掲載された2枚の写真に枯れ果てた姿をさらし
少々恥ずかしいですが、有難うございました。
次の機会には是非ご一緒に恥を忍んで飲んべー
の姿をさらしたいたいと思います。
これからも宜しくお願いします。
千葉実年大学は大勢で活動して
おられますね~船橋の東照宮も
始めて知りました。
oko様のその後如何でしょうか?
御見舞申し上げます。
歴史倶楽部の掲載は久し振りにさせて頂きました。
歴史倶楽部のHPは掲載から1ヶ月ほどで削除されてしまいます。
なるべく保存させて頂きたく思っておりますが、なかなか時間が無く
残念に思っております。
私事が先に伸びましたために、書道展の作品に取りかかりましたり、
体力のために昼間のヨガに、夜は子供達と一緒にお休み前の陰ヨガに
出かけ、本日も先程帰宅しました。
ブログを拝見しましたままにコメント失礼致しております。
お写真の掲載の許可を頂いておりますので、安心してUPさせて
頂きました。
奥様孝行のお話しも伺いました。
Wさんは高熱で大変だったようですね。
Aさんは1人ぼっちで淋しかったようでした。
時節柄ご健勝をお祈り致しております。
歴史倶楽部に7年も在籍しておりますが、船橋市内の散策は
初めての企画でした。
参加できませんでしたが、資料を参考にご紹介させて頂きました。
御心配をおかけしておりますが、そのときに備えてダンスの
レッスンも楽しんで元気に過ごしております。
人が参加しているようですね
素晴らしいことです
私似は付いていけないでしょうね
お元気で何よりです
役員の皆様がとても熱心に企画してくださいますのでとても
有難く思っております。
体調の関係からしばらく参加できませんが、HPにご紹介
くださいますので、心待ちにしております。
船橋に参加した私は、おかげさまで復習させていただいています。
歴史倶楽部のHPが削除されてしまいますので少し保存したく思い
HPで学びました。
船橋散策は初めてだったと思いますが・・・。