9月定例会は、千葉県東葛飾地域の北端 「利根川と江戸川」 の分岐点に位置した 「関宿」 及び 「流山」 を訪ねます。
上記のご案内に、6月の北茨城市・常陸太田市の旅 参加者90名を更新し、92名の大勢の皆様が参加されました。
午後遅くには の予報に心配をしましたが、残暑が舞い戻りましたかのような の一日、汗を拭き拭き、健康増進を図りながらの有意義な散策が出来ました。
1.開催日 平成20年9月7日(日)予報が外れて
2.参加者 92名 (歴史倶楽部始まって以来の参加者です)
3.集 合 千葉NTT前 7時45分
4.行 程
(1) 関宿訪問先
① 千葉県立関宿城博物館(学芸員の説明を頂く)
② 日蓮宗宝樹山実相寺 (住職のお話を頂く)
③ 鈴木貫太郎記念館 (自由見学)
野田市関宿方面 “関宿藩と関宿”
関宿は関東平野の中心にあり、戦国時代には「関宿を支配することは一国を支配するのと同じくらいだ」と言われるほど重要な所でした。
ここを手に入れるために戦国大名が戦いをくり返しました。近世に入ると徳川幕府は関宿藩を置き、譜代大名に関宿をまかせました。
藩主は江戸で老中等の職に就くと共に、地元関宿では「洪水対策、新田開発及びお茶の栽培」に力を入れました。
利根川と江戸川が分かれる関宿は河岸(川の港町)として栄えると共に「日光東往還」(日光街道の脇街道の一つ)の宿場町としてとても賑わいました。
関宿城は、今から 500年 以上前に建てられたと言われています。
佐倉城、忍城 (家康の四男松平忠吉が藩主、中山道の裏街道宿場町。現埼玉県行田市。)等とともに江戸城を守る重要な城の一つでした。
① 千葉県立関宿城博物館
利根川と江戸川の分岐点(展望室ガラス越しの)
幕末の老中、久世広周を輩出した関宿藩 5万石の本拠地「関宿城」を再現したものです。江戸川などの水との戦いの歴史に関わる資料が多数展示されています。
関宿城の歴史は、長禄元年 (1457) 古河公方の重臣によって、茨城県総和町水海より現在の地に築城されたのが始まりと言われています。
徳川家康は、ここを「江戸の北の砦」と重視しました。
利根川と江戸川の分岐点にあり、まさに濠の役割を果たし川と低地を要害とした平城であったと説明いただきました。
② 日蓮宗宝樹山実相寺
応永16年(1409)日英上人の創建
境内には関宿城本丸から移築した客殿があり、本堂には久世家歴代の藩主と奥方の位牌が安置されている。
また、墓地内には、鈴木貫太郎氏や弟鈴木孝雄氏 (靖国神社宮司) 等のお墓がありますが、とても質素なお墓にビックリ致しました。 合掌
③ 鈴木貫太郎記念館
太平洋戦争終結時の内閣総理大臣であった、鈴木貫太郎氏の記念館。
鈴木貫太郎氏が愛用していた海軍時代や侍従長時代の礼服、又当時を偲ばせる遺品が数多く展示されています。白川一郎画伯が描いた「最後の御前会議」の油絵がおさめられておりました。
(2) 流山市訪問先
① 流山市立博物館 (学芸員の説明を頂く)
② 常与寺
③ 閻魔堂
④ 近藤勇陣屋跡
⑤ 一茶双樹記念館 (館長さんの説明を頂く)
流山市 “廃藩置県と流山”
江戸時代から明治時代に入り、封建国家から近代国家へと移りましたが、地方においては、明治 4年(1871) に廃藩置県 が行われ、現在のような県が生まれました。
しかし、東京近郊の各県がほぼ今の県域となるのは、それ以降となりました。
千葉県でも幾多の変遷がありました。
その理由の一つは、江戸時代の江戸周辺が、幕府直轄領と大名領 (関宿藩 ・ 佐倉藩など)とが複雑に入り組んだ事情にあったためです。
流山周辺だけを考えてみても、明治元年 (1878) 幕府直轄領及び田中藩本多家飛地領が上知(上知、土地を返納すること)され、下総知県事や武蔵知県事の支配地となっています。
翌年には、知県事から葛飾県や小菅県に名称が改められています。
明治 4 年 7 月 の廃藩置県により、関宿藩なども関宿県などとなりました。
次いで11月には葛飾県や関宿県など七県が統合されて印旛県が設置されました。
明治 6年 印旛県と木更津県の合併により千葉県が誕生しました。
ほぼ現在の県域となるのは、明治8年の新冶県の廃止による利根川以南の香取郡など三郡の編入と、利根川以北の結城郡など三郡と、相 郡と葛飾郡の一部の茨城県への編入後のことです。
① 流山市立博物館
東深井古墳群の出土品が玄関でお迎え
市立中央図書館と同じ建物の中にあります。この地は江戸時代田中藩の所領地でありました。
つまり「葛飾県庁、印旛県庁」がおかれていた所でもありました。
元和2年(1616) 田中藩本多家の祖政重は数々の戦功により家康から下総1万石を拝領した。
明治元年 (1868) 12月葛飾県が誕生し、仮役所が東京薬研堀に置かれた。
翌年 2月正月本多藩は安房国長尾と国替えになったため、この地を県庁と定め、同月 18日に移転、3月に御用始めを行った。
その後、明治 4年府県の統廃合により印旛県が誕生。
引き続き明治 6年千葉県に統合されるまで県庁としてこの地が行政の中心舞台となっていたそうです。
② 常与寺
印旛官員共立学舎跡の碑
鎌倉時代創建の日蓮宗寺院。県庁所在地当時の史跡「印旛官員共立学舎跡の碑」は、いわば千葉師範学校(現在の千葉大学)発祥の地。
③ 閻魔堂
④ 近藤勇陣屋跡
流山の低地の、町並みの中にある閻魔堂前の通りには「近藤勇陣屋跡」と書かれた碑が建っています。
この碑は高さ約1mあり、昭和 51年 (1976) に流山観光協会によって建てられました。
近藤勇が最後に隠れていたのが、酒造業を営んでいた長岡屋。旧長岡屋土蔵の前に「近藤勇陣屋跡」の碑があります。
⑤ 一茶双樹記念館
小林一茶と親交の深かった俳人秋元双樹屋敷跡に記念館は建っています。 記念館には、秋元本家、双樹亭、一茶庵、枯山水庭園などが一般公開されています。
枯山水庭園 夕月や流残りのきりぎりす
会長さんを初め、役員の皆様のおかげで千葉県の歴史を改めて学ぶ機会に恵まれましたことに心から感謝を申し上げております。
そして貴重な資料を基に「旅の思い出」 が綴れますことも喜びとするところでございます。
又、回を重ねるたびに参加者が増えますことは、会長さんを初め、役員の皆様のご尽力、そして見事なまでのチームワークに他ならないと敬意を表しております。
未熟なブログですがお読みいただきまして、訂正箇所などご指摘頂けましたら幸いに存じます。
歴史倶楽部の益々のご発展と役員の皆様のご健勝をお祈り申し上げまして御礼にかえさせていただきます。
有り難うございました。
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様子が良くわかりました
一度分岐点を見に行ったことがあります
天気は良かったようですが扱ったことでしょう
歴史倶楽部の皆さんに感謝の気持ちと私自身の復習の為に記録しております。
関宿には初めて伺いましたが、色々学ぶことが出来ました。
鈴木貫太郎氏のことは歴史上の人物として知っておりましたが、改めて歴史を紐解くことが出来ました。
会長さん初め、役員さんのご尽力に大勢の皆さんが参加されております。
日も短くなり、もう秋ですね。信濃路の美しさをお伝えしていきます。今日炬燵を作りました。
未熟な記録ですが、私自身学ぶことの喜び、そしてお仲間の皆様に見て頂けますことに励まされております。
今夜は書道教室でした。
高橋史江先生から「徳永先生のアコーディオンがとても懐かしく、又お聴きしたい。そして奥様にもどうぞ宜しくお伝え下さい」と頂きましたのでお伝えいたします。
会長さんを初め役員さんの皆様のご熱心なお姿に敬服しております。
身近な所でも学ぶ事が多くありますことに、いつも再発見の旅を楽しんでおります。
今夜はお客様は大丈夫ですか。
信濃路の様子を楽しみに致しております。
今日は午後ダンス、夜は先程まで書道教室でしたのでご挨拶が遅くなりました。
圧倒されています。
例会当日は、大勢での移動の中、どうしても限られた時間と戦いながら?の歴訪になってしまいます。
ですが、oko様のまとめあげた文章が、そして
すばらしいアングルのお写真がさながら「当日再現」して下さっています。
それはもう実に、見事に!完璧に!です。
shinshinさまの笑顔とお心遣いにいつもいつも感心しております。
そしてご一緒させて頂けます喜び、この上なく幸せでございます。
この度は特に千葉県の歴史を紐解く大切な事柄に触れることができましたこと嬉しく存じます。
昨夜コメント拝見致しながら、どうしても瞼が開いてくれませんでだだ今になりました。
又のお目もじを楽しみに致しております。
有り難うございました。