冊子の色は千葉市旗の緑色を選びました
表紙の裏面に見開きにして掲載しましましたが、画像が小さく見にくいと思いますが、いかに多くの兵士が多くの国々に派遣されましたことがわかります
「臨時招集礼状」 通称・「赤紙」と呼ばれました 遺族の家に 国・千葉市から配布された「標識」 千葉市戦没者(4,200余柱)・ 戦災死没者(890余柱)之慰霊碑
千葉市遺族会事務所に保管されておりました原稿のみの掲載「思い出のことば奉読者一覧」 「千葉県忠霊塔」 昭和29年4月8日竣工 英霊名簿57,248柱
短歌15首を掲載して頂き大変ありがたく思っております 平成13年に「思い出のことば」を奉読させて頂きました
編集委員は総勢9名、川島 義美遺族会長、楠本 八重子編集委員長(遺族会副会長)、宍倉 操事務局長、資料収集から執筆にご尽力頂きました山本省一編集委員の皆様に御礼を申し
上げております。
この記念誌は千葉市の援助も有りましたことにも感謝を申し上げております。そして千葉市中央区の代表として編集の末席に加えて頂きましたことに多くを学ぶことができました。
私の「編集後記」(字数厳守でした)
昭和20年8月15日の終戦から77年目を迎え、戦後生まれの人が9割となりました。戦争の記憶も風化の一途を辿っておりますが、再び戦争の惨禍を繰り返すことがなきことを
願っております。
正座して玉音放送聞きし日はわれが五歳のあの夏座敷 (提出短歌より編集委員長が編集後記に特別に添えてくださいましたことに感謝を申し上げております)
この度の記念誌は千葉市内の小学校・中学校・千葉市立の高等学校・公民館・図書館などに配布されますことを伺っております。
先生方も戦争については遠い存在になっております事と存じますが是非、本誌にお目を通していただきますことを願ってやみません。
記念誌のほんの一部分ですがご紹介させて頂きました。
さすがと思いました。
追慕の歌もいつも心を打たれます。
親しくしている歌手の遠藤伸子さんも中学の時
靖国神社に行かれました。
昨年は編集委員会出席に多忙でしたが、資料収集、執筆にご尽力されました先生は
子どもが中学校でご指導いただきました社会科の先生に想い出話もできました。
今年度の役員改選に副会長兼女性部長が卒寿を超え、体調不調に後任に任命され
大役に押しつぶされそうです。
故に町内会の老人会長を変わって頂きました。
しかし、パソコンができる方がいなく仕事は減らないと覚悟しております。
本誌の表紙題字は楠本先生の書ですがさすがですね。
先生は昨年1年間、編集委員長としてお疲れになりました事存じます。
最近は歩行が少々困難とお役を辞退されました。
先生の後の大役は辞退を申し上げました・・・ですが
仕方なく受けることとなりました。
コミュニティーセンターも3年後までには取り壊す?とかに、その時は事務所も
無くなりますので遺族会も解散することに、その時まで頼むということでした。
日本で行われる『G7の各国代表』、核兵器不戦の誓いを、ヒロシマにて行われるようです・・・ネ!!
◎ 戦没者平和の誓い七十五
普通の日々や戦争惨禍 (縄)
記念誌はA4版160ページの分厚い本になりました。
編集時には戦死者の名前、戦死年月日、戦死場所など記載に賛否両論でしたが、
今となっては記載できる方はほんの一部に、片手落ちになるのでは、
又、戦死場所については世界地図に兵士の派遣先掲載ではいかがに
町内別戦死者数記載になりました。
それでも千葉市慰霊碑に刻まれております戦死者数4200柱に対して
町内別戦死者数調査は2448柱に過ぎませんで戦争の事実がだんだん遠くなって参りました。
残された人生に、父を偲びながら千葉市遺族会に協力してまいりたく思っております。