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北茨城 ・ 常陸太田市への旅 2-1

2008年06月24日 23時16分50秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                    千葉実年大学校 歴史倶楽部 6月度定例会    
  
6月定例会は、北茨城市・五浦(いづら)に“岡倉天心(日本美術院創設者)”の 「五浦美術研究所」及び常陸太田市に“徳川光圀”が晩年を過ごされた「西山荘」 等を訪ねます。
岡倉天心は明治39年日本美術院を再編成して、愛弟子“横山大観、下山観山、菱田春草、木村武山”を五浦に呼び寄せ、日本画の近代化を目指して美術活動を展開しました。
天心が読書と思索にふけった「六角堂」があります。
徳川光圀郷(義公、黄門)は元禄4年(1691)5月から13年(1700)12月73歳で亡くなるまで「西山荘」で過ごされました。 
ここで大日本史編纂事業の監修を行いました。
光圀郷の生母“お万の方”の菩提寺・久昌寺、佐竹寺などを訪ねます。
   
上記のご案内に、歴史倶楽部始まって以来の大勢の会員が参加を致しました。
 1.開 催 日  平成20年6月19日(木)午後  予報が外れて一日中  
 2.参 加 者  90名       
 3.集  合  千葉NTT前 7時15分
 4.行  程  

千葉NTT前発7:30 ⇒ 北茨城IC (10:30) → 五浦海岸 ・ 野口雨情記念館 北茨城IC ⇒ 常陸太田IC (12:25) → 西山の里 桃源にて昼食(12:50~13:30) →
「西山荘」 (13:30~14:10) → 「久昌寺 ・ 佐竹寺 ・ 正宗寺」 (14:10~16:00) → 常陸太田IC(16:30) ⇒ 穴川IC(18:40)→ 千葉駅前着 (19:00頃)

 
満席の  2台は、千葉駅前 7:30 スタート。
ひたすら走り続けて3時間20分、最初の見学地 「五浦美術文化研究所」到着。
「200km以上は走ったでしょう」と役員さんのお言葉。
初めての見学に心躍らせながら、天心記念館の展示物 ・ 庭園 ・ 五浦海岸に建つ 「六角堂」 の見学等を楽しみました。

< 茨城大学五浦美術文化研究所 >
 
         六角堂の写る入場券                    研究所入り口                    五浦海岸              

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北茨城 ・ 常陸太田市への旅 2-2

2008年06月24日 23時00分38秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

< 岡倉天心 と 五浦(いづら)
1.岡倉天心     
 ① 近代日本を代表する文明思想家 “岡倉天心 (1862~1913年)”は東京美術学校(現東京芸術大学)校長の職を辞して明治31年に弟子達とともに「日本美術院」を創設した。
  やがて、天心は五浦に居を構え、明治39年には日本美術院を再編成して、四人の愛弟子「横山大観、下山観山、菱田春草、木村武山」を呼び寄せ、日本画の近代化を目指して美術活動が
  展開された。

 ② 岡倉天心は、福井藩の命で生糸貿易を営んでいた岡倉覚右衛門の子として横浜に生まれた。
   18歳で東京大学文学部を卒業後、文部省に勤務、古社寺の調査や、東京美術学校創設に尽力し、革新的な教育方針で、伝統美術を教育しようとした。
   明治22年開校した同校の校長となる。
   美術行政家、美術史家、文化財保護の先駆者としての活躍は目覚ましいものであった。
2.五浦美術研究所 (後に五浦美術文化研究所と改称)
  昭和17年、天心偉蹟顕彰会が天心の遺族からこの地の管理を引き継ぎ、戦後、会長の横山大観は、茨城大学に寄贈を申し出た。
  それを受けて昭和30年に、五浦美術研究所が設立された。
  研究所の敷地内に「長屋門、天心旧邸」が残り、前庭先の太平洋に突き出した岩の上に、天心が読書と思索にふけった「六角堂」が往時の 面影を留めています。
3.天心記念館      
  昭和38年に建設された敷地内の「天心記念館」には平櫛田中作の“五浦釣人”と“岡倉天心像”のほか、天心の釣船「龍王丸」など関連資料が展示されています。

4.六角堂 (入場時に頂いたパンフレットより転載)      
   六角堂は天心の創意の奇抜さを示しながら、強烈な五浦のイメージを発信し続けている。
   その姿は、天心が開扉した法隆寺夢殿を模したものとされていたが、近年では、杜甫の草堂である六角亭の構造と、朱塗りの柱や屋根の上の如意宝珠など仏堂の特質を持ち、床の間を備えた
   芸術鑑賞と対話のための茶室的空間と考えられている。

  天心は、『茶の本』 を執筆しながら、建築の構想を抱いたであろう。 屋根裏から発見された棟札には、天心自筆の 「観瀾亭」 の名称が記されていた。
  「瀾 (大波) を観るあずまや」と言う名には、宇宙の本質である永遠の変化と生成を波に見て、自らの人生でも驚くべき多様な活躍をした天心 の思想が表れている。
 『茶の本』のように、六角堂にも、道教と仏教と茶が渾然一体となった天心の世界観が表現されているのである。と記されておりました。

 
         五浦(いづら)海岸に佇む六角堂                   五浦(いづら)海岸を望んで

5.岡倉天心のお墓 (平成元年7月24日 北茨城市 市指定) 


< 野口雨情記念館 ・ 北茨城市歴史民俗資料館 >
 北茨城市の出身で、「七つの子」「赤い靴」 など童謡の作詞で知られている野口雨情の遺品や資料を展示してあります。
 ここでは雨情の偉業を顕彰し、後世に伝えるため、全国から収集された資料を中心にして構成しています。
 雨情関係資料としては、 「雨情略年譜」。 全国各地に立てられている「雨情詩碑一覧」。 
 雨情詩作の「全国民謡かるた」。
 陳列ケースには初出原稿、直筆の色紙・掛け軸や扁額、友人との交友を示した書簡、著作品、「金の船」 をはじめとする雑誌類、楽譜などを展示しています。

 
           記念館と野口雨情像                              玄関前の記念碑

<西山の里 ・ 桃 源(昼食)>
 
この施設は、西山荘の入り口にあり、西山荘を訪れる観光客の利便を図るために作られたそうですが、花菖蒲が咲き乱れた美しい庭園を眺めながら美味しい昼食を頂きました。

 庭園は四季折々に美しい花の競演が楽しめるそうです。
 

< 徳川光圀 と 西山荘 > 
 1.西山荘
   西山荘は水戸の北20km、常陸太田市にあり、徳川光圀郷 (義公) が隠居されたところです。義公とは、仏教でいう戒名で、おくりな というものです。

 2.徳川光圀郷と黄門さま
  元禄3年(1690)冬、致仕して水戸に還られました。このとき権中納言に任じられました。
  これを唐名で黄門というので、黄門さまと称せられるようになりました。
  郷は翌4年(1691)5月から13年(1700)12月6日73歳で亡くなるまで西山荘で過ごされました。

  郷はここで読書をされたり、構想をねられたり、いろいろな事業を進められたのです。また、ここで大日本史編纂事業の監修をしました。
  その後、建物が焼失しましたが、約170年前に、その一部を復元したのが現在の建物です。
  郷は敷地内に薬草を植え、また397種類の薬草を載せた「救民妙薬集」を発行し、民間に配布しました。
                
                        
 
                門は?木が二本、入って左が入り口、右出口には屋根がある(写真上)
 
                                      復元された光圀郷の邸宅                              

 
                            整備されている園内 
3.義公廟 ・ 久昌寺
  徳川光圀郷の生母 “お万の方”(久昌院靖定大師)の菩提寺が久昌寺です。
  寺の奥の高台に、光圀郷の遺徳を偲んで建てられた 義公廟 があります。

  廟内には、生母の菩提を弔う法華経10巻を納める宝塔や光圀郷が集めた 明版一切経が収蔵されています。

4.佐竹寺 (国指定重要文化財)
  常陸の国を統一した戦国大名佐竹氏代々の祈願所。寛和元年(985)花山天皇の命により元蜜上人が創設したといわれ板東33観音霊場 第22番札所として信仰されています。
   本堂は桃山時代の建築様式を色濃く残しており、明治39年に本堂が国指定重要文化財となっています。
  佐竹氏の秋田移封と同時に寺運も次第に衰えていったそうです。
    

5.正宗寺
  佐竹氏の菩提寺で、累代の墓がある。水戸黄門漫遊記の助さんのモデルとなった 「佐々宗淳のお墓」もここにある。
  この寺に安置してある 木像十一面観音菩薩は、県指定文化財 です。
      

              
                    有り難うございました(正宗寺にて)
心配しました  の予報も外れ、往復400km以上に及ぶ  の旅に貴重な見学地を訪ねることが出来ました。
その間、会長さんを初め、役員の皆様、常陸太田まちかど案内人5名(ボランティア・ガイド) の皆様、そして一日中「千葉実年大学校 歴史倶楽部の旗」 を掲げて引率してくださいました
担当役員の皆様のご案内に心ゆくまで見聞を広めることが出来ました。

心から御礼を申し上げながら、私の大切な思い出とさせていただきます。 
有り難うございました。             

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