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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

信念のクルマ、トヨタ ビスタ

2006年12月13日 00時02分12秒 | Weblog
1998年の初夏、僕は、このクルマをマガジンXのスクープで初めて目にした。そして、トヨタの勇気に心底びっくりし、トヨタってほんとに凄い会社だと思った記憶がある。こんなにカッコ悪い、明らかに売れなそうなクルマを、大真面目に世に問うなんて、よほどの勇気と信念がなければできないと思ったのである。少なくとも、僕はこのクルマの登場をそうやって祝福した一人だ。

カッコ悪いとは書いたが、イヤミな言い方をすれば、このクルマをろくに見もせずにカッコ悪いと斬り捨てる人はシロウトである。 確かに、そりゃあカッコ悪いだろう。カッコよく見せようなんてこれっぽっちも思わず、セダンの正義をひたすら追求した結果なのだから。
だけど、それじゃあクルマのカッコよさって何だ?流線型の低いルーフや、手が切れんばかりの鋭いエッジ、ガラの悪いツリ目ヘッドライトによってのみ決まるのだろうか? 否である。

いろんな意見があるだろうが、クルマのカッコよさとは、僕に言わせればそのクルマがどれだけおのれの目的に真剣に迫っているかどうかで決まる。 「おのれの目的」とは、すなわち存在意義だ。 存在意義をどれだけ真面目に追求したか、その迫力がカッコよさだ。その上で、美しさや洒落っ気をも備えていれば言うことはない。(例として多くのプジョー、ルノー)

ビスタは、人間にたとえるなら、ジャニーズ的な安易なカッコよさは最初から捨てて、徹底して実用セダン=性格俳優たろうと努力した。その結果、本物のカッコよさを得ることができたが、日本のマーケットではビジネス的に成功するはずもなかった。よく見れば、ドアの切り方やリアデッキの長さと下がる角度など、かなりレベルが高いと思うのだけど。今にして思えば、この基本デザインにはどう考えても不釣合いなフロントマスクとリアビューが災いしたような気もする。

このクルマほど、自分の信念を前面に押し出した説得型のクルマも珍しいと思う。トヨタにはぜひ、この路線でもう一回ビスタを作ってほしかった。ビスタ店もなくなってしまったいま、このブランドも、このトヨタの勇気あるチャレンジも、静かに記憶から消えていくのだろうか。
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