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クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

ブランドは誰のものか?

2008年12月13日 00時40分11秒 | Weblog
新型アコードワゴン・アコードセダンはとても魅力的なクルマになったが、それは純粋にプロダクト単体としての話であって、ホンダの日本事業におけるアコードのポジショニング設定 -特に価格視点での- については、まったく賛成できない。

誰もが思ったであろうが、なんでこんなに価格が高いのか? いくら大きなボディを持ち、電子デバイスを満載していても、しょせんは4気筒エンジンしか持たない、輸入車でもないクルマである。それなのに、セダンのスタートプライスは270万円であり、売れ筋と思われるそのすぐ上のグレードにいたっては290万円である。

この価格は、いかなる基準をもってしても高い。積んでいる装備やクルマの仕様をそれぞれ金銭化して、それを積み上げればそのぐらいの価格になるのかもしれないが、このクルマの場合は、まずホンダの企業の都合としての設定価格が先にあり、それを正当化するだけの電子デバイスをはじめとする装備・仕様を備えてきたというのが実態であろうと思われる。

そんな企業優先の論理=アコードをこの価格で売ること、この価格のクルマをアコードとすることについては、僕自身ホンダからまったくなんの相談も受けていないし、この決断に至った説明も聞いていない。だから、僕はこのクルマに対してというよりは、このクルマを消費者から遠い存在にしてしまったホンダという企業に対して、とても深い不信感を抱く。

「バカな、そんなこといちいち消費者に個別に相談なんかできるか」。その通り。それは現実的ではないし、アコードの値付けに関しては、それを作ったホンダが自由に決めてよいことになっている。しかし、それでは、アコードというブランドはメーカーのものであって消費者のものではないというのか。

僕は、日本のホンダという会社が考えたアコードというクルマが、世界の自動車市場で憧れのクルマとして認知され、台数で見ても優良な実績を挙げていることを日本人として誇りに思ってきたし、それが望めば手の届く価格で売られていることを幸せに感じてきたひとりである。そう思っている人は、僕のほかにも少なからずいるだろう。つまり、アコードというブランドは、いまやホンダだけのものではなく、それを買おうと思っている人や実際に買った人、買う予定はないけれど憧れと敬意を持っている人のものでもあるのだ。

ホンダはきっと、こう言うだろう-「すぐにインサイトというハイブリッドカーを出します。それは、ハイブリッドカーなのに、200万円という割安な価格で提供します。アコードが高いというなら、そちらをお求めください」と。 そういうことじゃないのだ。そうやって、ホンダがまったくの自社の都合だけで、商品ラインナップや個別車種のポジショニングを滅茶苦茶に変えてしまうことに、僕はとても一方的な蹂躙感をうける。

僕がこれまで書いてきたことに違和感を覚える人もあるかもしれない。実は僕だって、今回のことは半ば仕方のないことかもしれないというとも思っている。だけど僕は問いたい。それでは、ブランドはいったい誰のためにあるのだろう?
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