牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ふるさとの歌

2013-05-27 06:17:27 | Weblog
此処に生まれたそれだけで
私の人生は良かった
白い砂丘をはるばる越える
白い砂丘をはるばる越える

此処に生まれたそれだけで
わたしの人生は良かった
青い海へと漕ぎ出す明日
青い海へと漕ぎ出す明日

此処に生まれたそれだけで
わたしの人生は良かった
旅を終えたらいつかは帰る
旅を終えたらいつかは帰る
=濱田龍郎自選薦詩集「映画馬毛島クロス」テーマ詩=

 先週は愛する67歳の教会員を天の故郷へ送り、昨日は記念礼拝で天国を仰ぐときでした。
 
 礼拝後に届いたメール便に、濱田龍郎自選詩集「十一人の友に捧ぐ」が。文庫本として文芸社から発行され、全国書店に陳列されるとの嬉しい知らせでした。

 出版のためにお祈り応援お願いします。掲載のふるさとの歌は、今年完成した「馬毛島クロス」という映画のテーマ曲です。

 「馬毛島クロス」の島春迦監督は、私と同じ種子島の鴻之峰小学校の後輩が作成した映画です。そのテーマ詩に、笹川満夫(種子島の歌手)作詞作曲でのの歌が流れています。

 石川啄木が大好きで、岩手山を実際に見た時、「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」を、感動とともに眺めたことがあります。

 しかし、種子島は海(太平洋と東シナ海)に囲まれ、高い山もないので、「ふるさとの海に向かいて言うことなし ふるさとの海はありがたきかな」と。


 奈良は海もなく生駒山に登れば遠く、大阪湾と瀬戸内海が見えるくらい。目を閉じれば種子島の海岸に打ち寄せる、太平洋の波音が響いてくるだけです。

 愛する友を天に送ると、「我らの国籍は天にあり」(ピリピ3:20)の聖書の言葉と、また、信仰の父アブラハムを思います。

 「彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。

 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。

 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」(ヘブル11:10-16)

 7月に種子島へ行きます。神学生も三名同行します。天のふるさと天国へも人々を案内できればと、てん今朝も思う天国から送り返された牧師の祈りと願いです。

 今日もまた天国の一日です!祝福を祈ります。

ピリピ人への手紙


 
1:19 というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。

小さき花の歌

2013-05-26 09:25:26 | Weblog
小さきは小さきままに
折れたるは折れたるままに
コスモスの花咲く
(詩、昇地三郎=しいのみ学園元園長2012年当時百六歳・ギネス)

小さき花の歌


風が運んでくれたんだ
ぼくらは小さな花だけど
大きな空いて芽を出した
スクスク、スクスク芽を出した

空を見上げて胸を張る
ぼくらは小さな草だけど
大きな明日を夢見てる
いつでも、いつでも夢見てる

一つひとつは不揃いの
ぼくらは小さな花だけど
大きな根っこで手をつなぐ
しっかり、しっかり手をつなぐ
=濱田龍郎自薦詩集=

使徒の働き

2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。

2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

召天記念礼拝

2013-05-26 08:32:43 | Weblog
 


 十字架にいのちをすて、三日目に復活したイエス・キリストを信じれば救われます。救われると霊が新しく心が前向きに変わり、考えが聖書的になります。

 考えが聖書的になれば、口癖=告白も変わり、いうことが変わると日々の行動も変ります。
行動が変われば、習慣が変わり、習慣が変われば人生もかわります。

 人生格が変われば、毎日が新しい喜びに満ち、今日もまた天国の一日です!と、生きていても天国の平安と喜びです。

 人は必ず死にますが、永遠のいのちを与えられたので、死んだら永遠の天国です。生きていても天国、死んだら天国、ハレルヤの楽しい人生です。

 今週は危篤3名、亡くなった方二名でしたが、死んだあと天国行きの予約を持っている人は幸いです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハネ10:28)

ローマ人への手紙

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

落ち着いて考え実行

2013-05-26 05:58:53 | Weblog
聖書の一言=ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。
(創世記1:6) 
どんなに問題が大きくみえようと、見分けて考えると区別されて、解決の道が早くなります。

コリント人への第一の手紙

10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます

孫4歳誕生祝いの日

2013-05-25 11:59:08 | Weblog
4歳になる主役は11時に来て、ママや姉と兄を待ちわびている。従兄弟が2歳なので、少しお兄ちゃんができるのでそれも楽しみ。何でも教えて上げるとさっきから待ちわびている。

 お腹が空いたとウロウロしている。来るのはもう少し待つように。家内も久しぶりの孫来訪に準備しながらウロウロ。

 5歳と2歳の孫はご飯がないと満足できず、先ほど生協までご飯にかける振りかけを階に行き、誕生日の祝いの席は完成。

 人生旅役者という詩我あるので転載します。

どこかで誰かの、呼ぶ声がする
何処へなりとも参りやしょう
お待ちなせぇと飛んでいく
あんたのお役に立てりゃいい
一度っきりの人生だ
あっしは人生旅役者

あしたは東北、南か西か
会いたい見たいよ友だちだもの
こんなしがねぇ男だが
あんたの笑顔に会えりゃいい
一度っきりの人生だ
あっしは人生旅役者

会うは別れと言わずにおくれ
元気でいればいつ又会える
呼ばれりゃ何処でも飛んでいく
あんたのお側に居れりゃいい
一度きりしかない人生だ
あっしは人生旅役者
=濱田龍郎自薦詩集=

孫たちの呼ぶ声が聞こえる。暑さが燃える生駒のお昼時。

サムエル第二

23:2『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、

23:4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』

23:5 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。

光が輝きすべて解決

2013-05-25 06:34:27 | Weblog
聖書の一節=

 神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。(創世記1:3)今日もまた天国の一日です。どんな暗さがあっても光が輝くと解決します。初夏の日差しが眩しい書斉から、主の祈りとともに。ハレルヤ。

 昨日からフエィスブックに、聖書の一節と題して、上記のような短いことばを書き始めました。

 聖書を開いたとき、ふと心に感じたことを書き、67歳で天に召された里深行信兄を記念し酔うと思いました。

 ブログは今まで通り書きます。熊本在の詩人濱田龍郎自薦詩集を転載依頼され、その詩もしばらく転載します。


ふるさと種子島自慢

高速船はいね、波の上を走るから
一時間半は、あっというまだ
四時間半の船酔いしていた昔は辛かった

飛行機に初めて乗ったのは十八の時
三十分泣き通して親父の臨終に間にあったけど
三十分は長かった

フェリーもいいね、車ごと乗れるから
三時間半は、楽勝かも
島中走り回れるから重宝するよ

タクシーもいいけど、車でね
島内一周半日あればできる
友達連れて来て島自慢ができるよね

喜びも悲しみも
幾度ふるさと訪ね来て
山も海も、人の心も種子島
=濱田龍郎自薦詩集=

おーい馬毛島(まげしま)

帰郷の船は沖をば通る

いまごろ君らも波の上

子亀孫亀帰ってくるよ


おーい馬毛島
ふるさとの海

「馬毛島=種子島の沖に衛星のように浮かぶ島」


冬支度

南の島に生まれ育ったぼくは
畜類の日の記憶の知らせを受け取ると
直ぐに冬の支度に取りかかる

しばらく会えない北国の友に
今日手紙を書こう
少しだけ言い訳を添えて

「あのね、冬眠はね、
木の芽の蔵に栄養をたくわえるんだ
春、欄漫の花咲かせるために」
=濱田龍郎自薦詩集=


新改訳 聖書
雅歌2:8 愛する方の声。ご覧、あの方が来られます。山々をとび越え、丘々の上をはねて。

 2:9 私の愛する方は、かもしかや若い鹿のようです。ご覧、あの方は私たちの壁のうしろにじっと立ち、窓からのぞき、格子越しにうかがっています。

2:10 私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

2:11 ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。

2:12 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。

2:13 いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。

2:14 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

2:15 『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕えておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

帰郷1

2013-05-24 15:45:48 | Weblog
丘の木立の片隅の、ひっそりと立ちし木片の
影も今はなく
ミンミンゼミのせわしく鳴く御坊の墓道を、幼な心は転がり転がり駆け下りる

 墓石ヲ立テモクレンコノ俺(オイ)ヲ、
 ドウカ恨マンデクレ

あれからもう幾歳月が過ぎたというに
昼なお暗き西願寺の御堂の裏つ方に、十数個ほど骨坪の白い包みがあって
その中の真新しきが寂しがり屋の親父

 墓参リニモ滅多ニ帰レンコノ俺(オイ)ヲ、
 ドウカ恨マンジクレ

台風対策の突っ張りと木片残る草茫々の吹きっ晒しのぼくの廃屋

 今ハ生キットル者(モン)が先イ
 ドバンシテ生キッカ、考エンバナラン

一体ぼくたちの生活はというと、あれから良くなったというのかどうか
一体良くなるとはどういうことを言うのかどうか
 
 間違ウコトノナカ真ッスグノ道ヲ、
 親父ヲ超エテ行ッテルかドウカ
=濱田龍郎自薦詩集=

十字架の救いを受けた後、死ぬ死者は幸い!

2013-05-24 09:36:17 | Weblog

 誰かが召されるたびに、聖書の言葉が響きます。

「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116:15)

「また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)

 人は必ず死にます。生きると言うことは死ぬと言う事があって、初めて生きていると言う意味です。

 健康で長生き祝福された長寿にも終わりが来ます。若くても突然に死が襲うこともあります。

 なぜ死ぬのか、永遠の謎です。それをなぜ?なぜと問い詰めても答えはありません。しかし、死!、と!マークで驚きの心で見つめると、死は永遠の?謎ではなく、喜びに満ちて!で驚きつつ迎えることができます。

 幼い日から何ども死を!マークで経験しました。今は、「天国から追い返された牧師!」と呼ばれています。

 イエス・キリストを16歳の時信じてバプテスマを受けクリスチャンになりました。若い日に牧師になり、50名を越える兄弟姉妹を臨終の床から見送りました。前夜式、葬式と数多くに経験をしました。臨終の床で牧師を待ち、安らかに召された友もあります。

 年齢に関係なく、「今より後、主にあって死ぬ死者は幸いである」ことを何度も体験しました。

 「彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる」昨夜も棺に横たわる体を見ながらの式でした。

「彼の行いは彼に着いて行く」残された業績は、家族や彼を知る友人たちを通して語り続けられることでしょう。

黙示録
 
 
7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

みことばで世界を満たそう

2013-05-24 05:32:23 | Weblog
 今日からフェイスブックでスタートします。

牧師の一言=初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)毎日を今日もまた天国の一日です!と、神様へアーメンからからスタートしましょう。


アモスのことば
見よ。その日が来る。――神である主の御告げ。――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。(アモス8:11-13)

 まだ化石人間の様だと言われています。ブログを毎日書き、フェイスブックからもいろいろ知ることがあります。情報があふれてています。世界人口は70億。世界にあふれている情報はインターネット社会で、その10倍以上とも言われています。

 今朝目覚めて、今日もまた天国の1日です!とスタートし、聖書アモス書のことば(上記)が響きました。見よ。その日が来る!もう来ていると思わされました。

 世界中の神学校の悩みは、神学生たちが聖書を読む時間がないことだとよく言われます。神学書をむさぼり読み、論文を書き上げるのに四苦八苦しています。

 教授たちも聖書を読まず学術書をむさぼり読み、高尚でもないくだらない非難ばかりしているようにさえ思わされるインターネット時代です。

 昔は修道院の中に引きこもり、イエス・キリストの十字架の救いを伝えることなく、聖書も福音も一般社会から遠ざけられていました。

 
現代は逆に情報は溢れていても、聖書の恵みの福音はどこへ行ったのでしょうか。もっと大胆に、十字架と復活の福音を満たし続けたいものです。

 牧師も、すべてのクリスチャンたちがもっと素直に、聖書にアーメンと応答し、その十字架の福音を伝え、特にインターネットに海が水で満ちるように伝えましょう。

 そうすれば若い男も、美しい女も、心の渇きで衰え果てることなく、真の幸せを体験し輝く人生を歩むことができます。

 まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。(ハバクク2:14)事が、心からの祈りと願いです。

今朝もチャペルで歌います。(賛美歌312番のメロディで)

恵みの日は来た 十字架の上で
すべて終わりとの 御声と共に
罪とが赦され 神の子とされ
のろいと病も すべて消えゆく

アーメン信じて とわ(永遠)のいのちを
受けて天国  豊かさあふれ
すべてに感謝で 賛美ささげて
笑顔は輝き 今日も天国

福音伝えて 世の終わりまで
主イエスは共なり 恐れはあらじ
御霊に満たされ 人々信じ
新たないのちで 今日も天国

恵みと愛との御手

2013-05-23 20:14:22 | Weblog
恵みと愛との 御手は伸べられ
平安よろこび 豊かな報い
なすことすべては 守られ進む
すべての必要 アドナイイルエ

主イエスの十字架 信じた日より
神の子とされて いのち輝き
祈りと感謝に 包まれ生きて
ありがとう感謝で 榮の道を

御霊の導き 豊かにあれば
恐れず前進 みこころの中
主イエスに従い ひたすら進む
福音伝えて 栄えの道を