牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

四季のめぐり合い

2013-05-27 15:43:48 | Weblog
愛する人よ
巡り逢った春の日を
忘れない
青春はほろ苦く還ってくるよ

導く人よ巡り逢った夏の日を
忘れない
正直な生き方を訓えてくれた

詩を詠む人よ
巡り逢った秋の日を
忘れない
優しさをありがとうと奏でる調べ

心の友よ
巡り逢った冬の日を
忘れない
夜更けまで語ろうかいで湯の宿で
=濱田龍郎自選詩集=

ふるさとの歌

2013-05-27 06:17:27 | Weblog
此処に生まれたそれだけで
私の人生は良かった
白い砂丘をはるばる越える
白い砂丘をはるばる越える

此処に生まれたそれだけで
わたしの人生は良かった
青い海へと漕ぎ出す明日
青い海へと漕ぎ出す明日

此処に生まれたそれだけで
わたしの人生は良かった
旅を終えたらいつかは帰る
旅を終えたらいつかは帰る
=濱田龍郎自選薦詩集「映画馬毛島クロス」テーマ詩=

 先週は愛する67歳の教会員を天の故郷へ送り、昨日は記念礼拝で天国を仰ぐときでした。
 
 礼拝後に届いたメール便に、濱田龍郎自選詩集「十一人の友に捧ぐ」が。文庫本として文芸社から発行され、全国書店に陳列されるとの嬉しい知らせでした。

 出版のためにお祈り応援お願いします。掲載のふるさとの歌は、今年完成した「馬毛島クロス」という映画のテーマ曲です。

 「馬毛島クロス」の島春迦監督は、私と同じ種子島の鴻之峰小学校の後輩が作成した映画です。そのテーマ詩に、笹川満夫(種子島の歌手)作詞作曲でのの歌が流れています。

 石川啄木が大好きで、岩手山を実際に見た時、「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」を、感動とともに眺めたことがあります。

 しかし、種子島は海(太平洋と東シナ海)に囲まれ、高い山もないので、「ふるさとの海に向かいて言うことなし ふるさとの海はありがたきかな」と。


 奈良は海もなく生駒山に登れば遠く、大阪湾と瀬戸内海が見えるくらい。目を閉じれば種子島の海岸に打ち寄せる、太平洋の波音が響いてくるだけです。

 愛する友を天に送ると、「我らの国籍は天にあり」(ピリピ3:20)の聖書の言葉と、また、信仰の父アブラハムを思います。

 「彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。

 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。

 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」(ヘブル11:10-16)

 7月に種子島へ行きます。神学生も三名同行します。天のふるさと天国へも人々を案内できればと、てん今朝も思う天国から送り返された牧師の祈りと願いです。

 今日もまた天国の一日です!祝福を祈ります。

ピリピ人への手紙


 
1:19 というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。