牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

帰郷1

2013-05-24 15:45:48 | Weblog
丘の木立の片隅の、ひっそりと立ちし木片の
影も今はなく
ミンミンゼミのせわしく鳴く御坊の墓道を、幼な心は転がり転がり駆け下りる

 墓石ヲ立テモクレンコノ俺(オイ)ヲ、
 ドウカ恨マンデクレ

あれからもう幾歳月が過ぎたというに
昼なお暗き西願寺の御堂の裏つ方に、十数個ほど骨坪の白い包みがあって
その中の真新しきが寂しがり屋の親父

 墓参リニモ滅多ニ帰レンコノ俺(オイ)ヲ、
 ドウカ恨マンジクレ

台風対策の突っ張りと木片残る草茫々の吹きっ晒しのぼくの廃屋

 今ハ生キットル者(モン)が先イ
 ドバンシテ生キッカ、考エンバナラン

一体ぼくたちの生活はというと、あれから良くなったというのかどうか
一体良くなるとはどういうことを言うのかどうか
 
 間違ウコトノナカ真ッスグノ道ヲ、
 親父ヲ超エテ行ッテルかドウカ
=濱田龍郎自薦詩集=

十字架の救いを受けた後、死ぬ死者は幸い!

2013-05-24 09:36:17 | Weblog

 誰かが召されるたびに、聖書の言葉が響きます。

「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116:15)

「また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)

 人は必ず死にます。生きると言うことは死ぬと言う事があって、初めて生きていると言う意味です。

 健康で長生き祝福された長寿にも終わりが来ます。若くても突然に死が襲うこともあります。

 なぜ死ぬのか、永遠の謎です。それをなぜ?なぜと問い詰めても答えはありません。しかし、死!、と!マークで驚きの心で見つめると、死は永遠の?謎ではなく、喜びに満ちて!で驚きつつ迎えることができます。

 幼い日から何ども死を!マークで経験しました。今は、「天国から追い返された牧師!」と呼ばれています。

 イエス・キリストを16歳の時信じてバプテスマを受けクリスチャンになりました。若い日に牧師になり、50名を越える兄弟姉妹を臨終の床から見送りました。前夜式、葬式と数多くに経験をしました。臨終の床で牧師を待ち、安らかに召された友もあります。

 年齢に関係なく、「今より後、主にあって死ぬ死者は幸いである」ことを何度も体験しました。

 「彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる」昨夜も棺に横たわる体を見ながらの式でした。

「彼の行いは彼に着いて行く」残された業績は、家族や彼を知る友人たちを通して語り続けられることでしょう。

黙示録
 
 
7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

みことばで世界を満たそう

2013-05-24 05:32:23 | Weblog
 今日からフェイスブックでスタートします。

牧師の一言=初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)毎日を今日もまた天国の一日です!と、神様へアーメンからからスタートしましょう。


アモスのことば
見よ。その日が来る。――神である主の御告げ。――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。(アモス8:11-13)

 まだ化石人間の様だと言われています。ブログを毎日書き、フェイスブックからもいろいろ知ることがあります。情報があふれてています。世界人口は70億。世界にあふれている情報はインターネット社会で、その10倍以上とも言われています。

 今朝目覚めて、今日もまた天国の1日です!とスタートし、聖書アモス書のことば(上記)が響きました。見よ。その日が来る!もう来ていると思わされました。

 世界中の神学校の悩みは、神学生たちが聖書を読む時間がないことだとよく言われます。神学書をむさぼり読み、論文を書き上げるのに四苦八苦しています。

 教授たちも聖書を読まず学術書をむさぼり読み、高尚でもないくだらない非難ばかりしているようにさえ思わされるインターネット時代です。

 昔は修道院の中に引きこもり、イエス・キリストの十字架の救いを伝えることなく、聖書も福音も一般社会から遠ざけられていました。

 
現代は逆に情報は溢れていても、聖書の恵みの福音はどこへ行ったのでしょうか。もっと大胆に、十字架と復活の福音を満たし続けたいものです。

 牧師も、すべてのクリスチャンたちがもっと素直に、聖書にアーメンと応答し、その十字架の福音を伝え、特にインターネットに海が水で満ちるように伝えましょう。

 そうすれば若い男も、美しい女も、心の渇きで衰え果てることなく、真の幸せを体験し輝く人生を歩むことができます。

 まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。(ハバクク2:14)事が、心からの祈りと願いです。

今朝もチャペルで歌います。(賛美歌312番のメロディで)

恵みの日は来た 十字架の上で
すべて終わりとの 御声と共に
罪とが赦され 神の子とされ
のろいと病も すべて消えゆく

アーメン信じて とわ(永遠)のいのちを
受けて天国  豊かさあふれ
すべてに感謝で 賛美ささげて
笑顔は輝き 今日も天国

福音伝えて 世の終わりまで
主イエスは共なり 恐れはあらじ
御霊に満たされ 人々信じ
新たないのちで 今日も天国