牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

明日のことを誇るな。何が起こるか分からない

2015-11-25 18:25:54 | Weblog
箴言27章
明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。
自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。
石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。
憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。
あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
憎む者がくちづけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。
飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。
自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。
香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。
あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。
利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。
他国人の保証人となるときは、その者の着物を取れ。見知らぬ女のためにも、着物を抵当に取れ。
朝早くから、大声で友人を祝福すると、かえってのろいとみなされる。
長雨の日にしたたり続ける雨漏りは、争い好きな女に似ている。
その女を制する者は、風を制し、右手に油をつかむことができる。
鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。顔を映すのは鏡ですが。人のほんとうの心はどんな友達を選ぶかでわかります。
ありがとうございます。今日もまた、友なるイエスと共に天国の聖なる一日です。感謝します。

見ることもできない、見えない神が人間になったクリスマス

2015-11-25 04:57:04 | Weblog
聖書の一言;ヨハネの福音書1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。
神は唯一で、全知、全能、遍在、永遠、不変です。聖にして義、公平で完全、愛と恵みに満ちておられます。
人間は、その神を見たいと切願し、自然崇拝し=動植物や摩訶不思議な物を伏し拝みます。また、英雄や武将、軍人や成功者を神に祭り上げ、手を合わせ拝みます。
あるいは宗教を造り上げた教祖を神や仏として、拝み崇拝します。そうしなければ祟りや罰が当たると、恐れびくびくしながら、宗教があると言いながら生き地獄です。
イエス・キリストは、人間がだれひとり見たことのない、見ることのできない神のことばであり、神のふところにおられるひとり子の神です。
クリスマスは、その見えない神が処女マリヤによって、この世界に生まれたことを記念し、喜び祝う日です。イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」(ヨハネ14:4-5)
これが道だと教えているのが宗教ですが、その終局は滅びの地獄行きです。これが真理だと主張する多くの哲学や心理学者、迷いのまま地獄行きです。いのちとはこういうものだと説明する科学者たちは、遺伝子を操作し、クローンやサイボーグさえも作ろうとし、神を越えたと豪語し、地獄への道をまっしぐらです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3;16-17)3:16 "For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
イエス・キリストは十字架に死に、3日目の朝復活し、今も生きておられる唯一の救い主です。アーメン信じますと、そのすばらしい救いを、心に迎えて平安と救いの恵みを受けてください。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。