牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

高みの見物ではなく、急いで下りてアーメン

2015-11-10 06:07:35 | Weblog
聖書の一言;ルカの福音書19:1-10 それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。
ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
ザアカイの救いの記事です。ザアカイ=清い者と言う意味です。しかし、その人生は、目の欲、肉の翌、持ち物の欲に支配され、その名前とは裏腹に、汚れた我欲の人生でした。
食欲は素晴らしいけれど飲暴食は健康を損ないます。性欲は夫婦間で必要です。金銭欲も、働く意欲の人生には度を越さない限り必要です。
ところが罪に汚れた我欲は、とどまるところを知らず、生活習慣病になってさえも、その欲に誌はされてしまい、自分の本質さえ見失ってしまいます。
急いで降りて来なさい。高みの見物ではなく、へりくだりアーメンと言う時、救いは与えられます。イエス・キリストを迎える幸いな心、幸いな人生、恵まれた救われた家族になります。
今日はこれから、知多半島半田市の愛昇殿まで、前川時子牧師の召天式に出かけます。ラジオ放送録音があり、時間に間に合うので、ABCスタジオまでトンボ返り。放送録音終了後、新世界の大阪エリム集会で帰宅です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。